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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
年の瀬や あれもこれもと 急くばかり
ことしを表す漢字に寄せて

師走に入り早月も中旬に差し掛かる。
県内のシンクタンクが、県内2400世帯余りに、「ことしを表す漢字」を聞いたところ、「忙」が一番多かったとの事である。

然らば、自分なりにどうかと、あれこれ思いめぐらしてみた・・・
思い返せば、何かしら日々が「忙(せわ)しい」。寝て起きるとボーッと生きている訳には行かない。あれもこれもと欲張りに思う心が実は「忙し」く一日をおくっているではないか。第三者的に心の裡を明かせば、「忙しい」の一字で「忙」かと・・・

「忙」とは、心を失うと解さねばならない。あるものに振り回されて、意図せぬ動きに乗って、只々一日を終わらせてしまうことこそ、忌々しいことはないが、これをせねば世情が空回りとなる。極めて人間臭さの中に「忙」の漢字が登場する。
「忙」は、大変範疇は広く、決して否定的な後退的意味を持たないのではないか。寧ろ庶民のエネルギーの表現を漢字で表した一字でもある。極めて積極的且つ行動的と私は捉える。
アンケートの結果は、答えた5.15%が「忙」と回答したとか。私も極めて標準的な県民であったと言える。

序でにアンケートの結果をのぞくと、「苦」 「忍」 「変」 「耐」の順であったが、
私なりに「忙」は決して「苦るしい」に繋がらない。まして今までの人生経験から「耐え忍ぶ」感心理状態には陥らない。忙しい中に閑を見出して来た生き方からすれば、決して忙しいことは、寧ろ人生の弾みとして捉えてきたからであろうか・・・
「変」の一字は、己の日々「三省」を願うことからすれば、納得する漢字でもある。

ここで一句  
  年の瀬や あれもこれもと 忙しけり   梅柿


事実は小説より奇なり
そんなばかなことが・・・

先日、書店に顔を出した時のひと幕である・・・
読みたい本が無くても、書店を覗くのは学生時代に身についた習慣であるが、この歳になっても暇があるときは書店を訪れることとしている。

今日も店内を隈なく歩き回っていた・・・
文庫本コーナに差し掛かった時・・・
老女が くしゃみをしかけていたのに遭遇した・・・
私は咄嗟にその場から書棚の陰に身を隠した。

「ハッ、ハッ、ハクション」と大きな響きが店内に轟き亘る。
然し・・・
難を逃れて通路にでると、何と何と・・・
彼女の口元には、広げていた新品の文庫本がマスク代わりに口に充てられていた・・・

その後、老女は手にしていた文庫本を書棚に戻したのか、或いは買い取ったかまでは見届けなかったが・・・

これからは、取寄せ本以外は、書棚から手にして買い求める本は、ずくを出して一通り総てのページを捲って、ページが全て捲れるかどうかを点検してから、購入しないととんでもないことになることを知った。

長らく書店通いをしているが、こんな経験したことは初めてであったが・・・


恩師に再会叶えて感涙御座候
恩師と教え子の絆

恩師との会食が叶い、久々に遠路飯山を訪ねるに
千曲川のせせらぎは滔々と 越後に流れ入る水面は少しも変わらず
謙信公所縁の綱切り橋はと捜すと 鉄橋は姿を消し往時の面影無く時の流れを知る
新幹線が敷けるに及んで飯山は再び蘇ることを得たり
祖父の故郷飯山はいつの世も北信濃の要所なりける

恩師との約束の会席場に到着し待つこと暫し
やがて恩師は元気よく階段を昇って来られる足音響く
恩師との数年来の再会は何ものにも代え難く嬉しさ募り
恩師と暫し懐古の話に花を咲かせ互いに生ある事を喜ぶ
師は何と九十八の齢を数えられる事なれば喜び一入なり

飯山名物のうなぎを食べながら一堂の健康あるを互いに称える
歓談の時は瞬く間に流れ事情有りて退席を余儀なくす
明年に我師の白寿の祝いを約束をして惜しみあるも席を立つに
師は別れを惜しんで我を玄関まで見送り賜るに只管恐縮す
先生と教え子の絆は将に千曲の流れと相似たりと




テーマ:ブログ - ジャンル:ブログ

弱音に負けてたまるか
習慣の怖さとありがたさ

夕飯を食べると眠る習慣は、実は二十歳代に努めて身につけたものである・・・
二十歳代は学生時代も通して、余程のことがない限り原則的に生活パターンに変化はなかった。事務所で事務をこなし午後6時事務所を退出。帰宅途中に定食屋で夕食を済ませる。帰宅後に銭湯に行き、湯舟で好きな歌を唄ってリラックス。明日の用意をして21時に就寝して午前零時に起床。4時間深夜に国家試験の受験勉強。午前4時に再就寝し午前7時に起床。8時50分先生のもとへ
この生活パターンは、生涯に亘っての私の基となった。何かに挑戦するときの原動力は、先ず継続できる生活パターンと学習時における集中力できる空間と机(身の回り環境)、然も書斎に寝る所がないのが好条件。この最小必要環境があればこそ目的が成就できるものである。畳敷きの机に座って学習するといつの間にか睡魔に襲われて横になってしまう。この怠け癖や横着を回避するために、無理しても書斎の椅子に座り、眠くなって椅子から転げ落ちても踏ん張る・・・

市議会議員になって、過去20年に亘る議員活動で乗り越えて来れたのは、思えば年4回の一般質問(数えると20年で94回)の質問原稿の推敲や、上程された議案に対する調査・研究、更に議員活動のまとめとして、毎月発行してきた議員活動報告は今月号で数えて242号となる。これらを恙なくこなしてこれたのも、毎日の生活パターンと生活棟とは別の書斎があったからだと言える。様々な思考やアイデアは、己一人が独占できる空間と、相応に対処できる書物や資料等、コピー機、電話やFAXの器機、PCに関する機器等が、手の届く範囲に全てあることが、昼夜を問わず思いついたときに、思考を文字化すことを助けてくれたと言える。

さて、生業の行政書士資格は国家資格であるが故に、国民の要望によって時代と共に資格に付与される内容も変わってきた。40代半ばに入国管理に関わる申請取次業務が加えられ、この業務を手掛けたい行政書士は、東京の武道館で試験を受けることとなった。試験が午前中あったため、都内で前泊して翌朝会場に赴くと、何と場内には全国から数千人の行政書士が試験のために来ていた。数千人が一堂に会しての試験会場は驚きであった。首尾よく合格したが寧ろそれからが大変だった。実務研修のため定期的に上京して研修を受講せねばならなかったからである。受講料、電車賃、前泊を東京都内でしていないと、午前中からの研修に間に合わないのでホテルの宿泊代と予想外の出費に些か閉口したものであるが、二十歳代は東京暮らしであったこともあって、上京することは一向に苦にならず、東京の空気が吸えるのが楽しみであった。

更に齢(よわい)古希を迎えんとするに、行政不服審査法等の改正に伴う、特定行政書士の資格創設とその審査に対する受験勉強が求められた。必然このために一定期間集中して学習をせねばならない。齢を考えてこの資格を受験しようか躊躇したが、行政書士に関わる資格である以上、新設された資格の受験に対する闘志がメラメラと燃えた。この道を生業にする以上回避することは許さないと思っているからである。これも二十歳代に身につけた「生活パターン」と、学習に対する集中力が役だったと言える。

思えば、三十代で所帯を持ち、糊口を凌ぐために行政書士を開業したが、行政書士を生業にすることは、常に業務に必要な第一線級の最新情報と要求される資格を取得しなければならない。行政書士の世界に身を置く以上は、時代の変革に対応して課せられる難題に食らいついて行く覚悟であり、決して老いを理由に尻込みするを愧じる己でありたいと思っている。この思いは議員活動と将にオーバーラップする。なぜならば議員活動は将に全ての行政法分野にまたがるものであるからだ。議員活動は特定行政書士が求められる分野と合致すると言える。

最後に記するを忘れてはいけないことは、わが議員活動、行政書士事務所運営の須らく背後には、女房殿の私設秘書兼補助者としての協力が、陰に陽にあることは事実であり、これを斟酌すると如何せん頭が上がらない。


テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

思い出との乖離
思い出は楽しく美しい

思い出は、楽しかったことはいつまでも忘れずに残り、悲しく切ないことや、余り褒められなかったこと等は、都合よくすっかり忘れるものである・・・
小学校時代の体操の授業での鉄棒の思いでは、余り褒められなかった。腕力がもの言う「逆上がり」は苦手であった。最後の一押しの「鉄棒に腹を滑らせながら鉄棒に体を回しながら押し上げる」コツが、中々難しかった・・・
そして、鉄棒の高さが何とも言えない高く感じ、恐怖感をいたくものであった・・・

議員になって、何かの用事で母校の小学校に足を運んだことがあった・・・
小学校の頃が思い出され、難問の鉄棒の前に立ってみて、「こんなに低かったのか」と驚いたものである。
鉄棒にぶら下がり、体をブランコさせたが、逆上がりをすることは出来なかった・・・

今日は久しぶりに、ラーメンを食べたくて街に出掛けた・・・
スープを口に含むに些か違う。少年時代、高校時代に口に含んだ味ではない。
麺を食べ終えての感想は、違うように感じた。
私は、ふと、小学校の鉄棒を久々に掴んだあの日の心境に何故か近い思いをした。
思い出の中で増幅されていた味覚が溶解していくのを感じた。