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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
電化に取り残されたことが幸いになれ
蘇れ飯山線

11月19、20日に飯山駅⇔長岡駅間で蒸気機関車を運行する報道が新聞やTVで大きく報じられた。
飯山線は電化されなかった分、蒸気機関車が走る原風景がその儘残っている鉄路である。
このことは行政視察で過去に岩手県遠野市に赴く際に、新花巻駅から釜石線で列車に揺られた折に、釜石線も電化されていないこともあって、「運転席横からの展開する田園風景は将に遠野物語の中に引き込まれる錯覚に陥いるが、これを演出するのはデーゼル電車ではなく蒸気機関車が相応しいので、是非SLを復活されたら」と、遠野市役所での研修を受けた後の意見交換の場で述べたことがあった・・・

その折に脳裡を掠めたのは郷里の飯山線であった・・・
飯山線復興の鍵は、私はSLを走らせ都会の生活に疲弊している人々が、のんびりと父や母、或いは祖父や祖母が日常利用した交通手段に思いを馳せ、飯山を訪れて暫し都会の喧騒を忘れるためには極めて有用なツールであると感じている。

私は40代の頃、盛んに今は廃線された長野電鉄河東線の屋代駅から木島駅まで蒸気機関車を観光目的で走らせることを提唱した。理由は高低差の余りない屋代から木島までは小型蒸気機関車で十分であること。千曲川沿線を五岳を見ながら走るスケールの壮大さに観光客は感動するであろうこと。河東線はノスタルジアに餓えている都会の御仁が屹度増える時代に、セラピーとしての効果をもたらす鉄路として訪ねてくれるであると感じていたからである。当時一介の書生の発言は、長野電鉄を動かせなかったことを今でも悔いているが、結果的に河東線(屋代線)は廃線となったではないか

小学生の頃、学校の東手にある鎌田山の中腹に登っては、眺めた慣れ親しんだ風景がある。豊野駅から越後の高田に向かう信越本線の列車は、豊野駅を出ると急勾配にさしかかる。この登り坂を喘ぎながら黙々と煙を吐いて登る蒸気機関車と客車がそこにあった。千曲川の銀河と雄大な北信五岳の山裾を走る蒸気機関車の躍動感は、少年たちに限りない夢を与えるものであった。更に夜ともなると蒸気機関車の汽笛が遠い須坂まで聞こえて来たものである・・・

父と汽笛との思い出


飯山は北陸新幹線が開通して新駅が出来、長い間眠っていた町が漸く眼が覚めた町といえる。私の祖父や祖母そして母の故郷でもあることもあって、飯山や北信濃のことが記事なり映像が流れると嬉しくて堪らない。奥信濃が活気を取り戻すためにも、飯山線も大井川鉄道のように、日常的に蒸気機関車を組み込んだダイヤ編成をしてもらいたいものだ。架線の無い飯山線は樽に仕込まれたウイスキーの如く見事に開花して欲しい。千曲川沿岸を走る風景は将に様になる田園風景であり、全国から心を癒やしに人々は訪れるのであろう。

確か20年ぐらい前に、当時の信越線長野⇔黒姫間に蒸気機関車が走った記憶がある。一家して前述の豊野の急勾配の場所に陣取って蒸気機関車を撮影した。このときの蒸気機関車は確かD51であったと記憶する。目の前を走るSLが吐く蒸気とレールの軋む音、力強く坂を駆け上がるピストンと大車輪、腰がぬけそうになる迫力のある汽笛・・・蒸気機関車はたまらない。たまらない思い出だ。


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