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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
あの賑わいはどこに消えたのか・・・
街の灯

かっての繁華街を歩き廻ると走馬灯のように過ぎし日々が思い出される・・・
須坂は商店街にはなぜかしら、食物屋が多かったと思い出される。うどん屋、支邦そば屋(少年時代は中華そばともラーメンとは言わなかった)、どりこ屋等容易に小腹を満たすに事欠かなかった。製糸の街として発展した明治末、大正・昭和の初期には、近郷近在の若い人々が、須坂の製糸産業を支えるために此の須坂に集まった。彼らの腹を満たす為には食物屋が必然繁盛したものと推測する。店毎に自慢の味があって、これが言わば受け継がれた店の味として、我々団塊のの世代の幼少時代に味わった味の追憶に繋がるのである。製糸業が衰退し、戦後は富士通城下町として隆盛を極めたが、商店街は強かに繁盛したと言える。

製糸の街は富士通城下町になっても、女子従業員を多く抱えることもあって、呉服屋の数も大変多かったのではないか。大工の数と飲食店の数が県下でも人口比での占める割合が高かったと、高校時代にこれを調査した友人が語ってくれたことを思い出す。

少年時代の須坂市は、映画館も市内に4館もあり、商店街は活気に満ち、路にも人々が溢れていた。どの店も冬でも無い限り戸を戸袋に納めて、解放状態で台を並べて季節の野菜や果実を皿盛りにして売っていた。夕時には裸電球が灯り、これが何とも言えない温かみと哀愁を帯びたものであった。人々はそれぞれに家路に急ぎ、賑わいが引けると商店街は店終いとなる・・・

あの賑わいはどこに消えたのか・・・
郷愁ではなく、今何をの思いで商店街の路地を歩きまわる。商店街の復興の糸口を模索しながら今日も歩き廻る・・・

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