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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
友を選ばば
友を選ばば

人との邂逅(出会い)は様々である。血縁、出生年代縁、地縁、学窓縁、立志縁、人生飛躍時代の縁と様々であるが、幼馴染との友情論を語るときは、地縁、出生年代縁、学窓縁、立志縁が大きく左右する。
邂逅は言わば天命の為せるなにものでもない。何故なら血縁、出生年代縁、地縁は本人は如何せん、全く何も出来ないものであるから、これこそ「偶発的な天命」と位置付けたい。

学窓縁、立志縁を私は「意識的邂逅」と名付けたい。但、義務教育の小・中学校の同級生は、私は「偶発的な天命」縁の範疇として捉えている。高校以上の学窓の関わりを私は「意識的運命」理解している。「偶発的な天命」で関わりがあった人と重畳的な関わりがあることはで、より友情が育まれるものであろう。

社会に出ての人との関わりは「自己責任の縁」であって、これは将に相手を選択できることであって、邂逅の意味合いや度合いが人によって異なる。この邂逅によって人生を豊かにも悲運にもするものである。師弟、同僚、先輩・後輩の範疇になろうが、師弟関係については、友情として論じられない。何故ならば師の教えや仕込みが弟子そのものに他ならないばかりか、生涯に亘りその道での生業に関わるものであるからである。

「偶発的な天命」「意識的運命」「自己責任の縁」を通じて形成されるのが「友情」に他ならない。腕白時代の関わりが友情を育て、生涯の損得に関わらないのが友人であるが、良友と悪友と将にあざなえる縄の如く絡む人生は複雑で面白い。このあざなえる縄に絡んでこない者は友人とは言えまい。ランクからいえば知人でしかない。

遠い学生時代に読んだ法学書の「一服入れる広場」と言うべきページに、法律家である筆者が「西洋の諺に人生で三人のよき友人をもてと言われている。一人は医師、一人は銀行家、そして一人は法律家である」と書いていた。諺の出所(でどころ)が独国だか英国だか仏国だったか忘れてしまったが、中世から言われている金言であるとの件を今でも覚えている。著者は「将来法律家になる志しを抱く君たちは、人生のよき友としての医師や銀行家とそして法律家としての友人になれるように励まれたい。」と、学業に一層精進をと励まされたたものであった・・・

わが国では、兼好法師が徒然草で、「よき友三つあり。物をくれる友。医師(くすし)。智恵のある友。(第117段)」と記している。序でに友とするのに悪い者として、「身分が高く尊い人。若い人。無病で身体の強い人。酒好きの人。勇敢な武士。うそをつく人。欲の深い人」と七つを挙げているが、あざなえる縄の如く絡んだ人生のよき友、悪しき友を思い浮かべると、なるほどと得心するところがある。目下進退が取沙汰されている某知事は、兼好法師が唱えるどうも後者の類に仕分けされまいか。

古今東西の一流の識者の見識は、なぜかしら共有するものがあると感じてならない。


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