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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
ふるさとのことば 2
ふるさとのことば 2 

 別れの言葉は、明日も会える仲間との一日の〆として言う言葉と、今度いつ会えるかわからない別離のあいさつを交わすものとあるが、後者の「さようなら」を「信州・ふるさとのことば」八十二文化財団発行の書で探ってみると、チンプンカンプンの外国語のように聞こえて、意味も分からないもので、言語学者でない私には歯がたたない・・・

 ○北部のサイナは、語尾に「ラ」を付けると関西のサイナラを連想するが、サイナだけでは分からない。北信育ちの私の少年時代からの別れのあいさつとしては、ジャァ、とかマタナ、デワであるが、小学校に通うようになって、漸くサヨウナラを覚えたがこれは標準語であって、学校の帰り道で交わしたあいさつは、バイバイ、マタアシタ、ジャァの記憶である。今度いつ会えるかわからない別離のあいさつは、大人になってからの経験であって、オゲンキデ、タッシャデナ、ジャァ、ヨロシクが思いつくが、アバヨは聊か心が重くなる。東京生活をして青年時代に郷里にもどってからは、何と上品にコキゲンヨウ、ゴメンナスッテ、オタッシャデと変化したが標準語は舌を噛みそうになる。。

 ○東部のオカセギナンシ、オヤスミナンシ、オヤスミナサッテ、ゴメンナンシは、明日も屹度会える会話として分かるが、ハイサイ、アチャといわれても意味不明だ。かって、ある人とある場所であったら、いきなり「ハイサイナラ」と言われて立腹したが、「ハイサイ」はことによると彼女の遠いご先祖様が信州であることを考えると、方言が耳の奥底にあっての発言であったかと。

 ○中部の、アバヨ、サイナ、サイナラは分かるが、いきなりアバ、アバコ、アバナ、アンバ、アンバヨー、ゴセッカクナシテ、オナンチョウモエと言われても、意味がさっぱり分からない。アが頭にあることが中部、南部に共通であることが興味深い。

 ○南部の、アバヨ、はわかるが、いきなりサイナ、アバ、アバイ、アバヤ、アバエ、アバー、アバナァ、アバョオォ、アバナと言われても、チンプンカンプンで信州に居るのだか、どこの国にいるのだか、何を言われたのか分からない。
 
 方言は、言われた言葉を即座に解する人たちによって自治が営まれ、このことが或いは、命と引き換えになったのかもしれない。集落の維持、一族の安寧、心の結びつきが命が保障される大事なものであったと推測する。
 たかが一言であるが、地方による刻み込まれた歴史とそこに住まう人々の温もりを感じとれないか。方言の価値はそこにあるのではないか・・・


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