プロフィール

佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

最新記事

リンク

このブログをリンクに追加する

月別アーカイブ

最新コメント

カテゴリ

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

最新トラックバック

QRコード

QR

千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
秘境・米子大瀑布
秘境・米子大瀑布

 須坂市の米子地籍は四阿山と根子岳と浦倉山からなる外輪山(YAHOO!地図で須坂市・四阿山と検索されたい)の周囲は広い。須坂市と上田市更に群馬県吾妻郡嬬恋村に跨るものである。この外輪山の中の旧噴火口には幾筋もの川と滝が存在するが、通称米子(よなこ)大瀑布と言う場合に、不動滝と権現滝を指す。私もこの歳になるまでに何度かこの異次元の地に足を踏み入れている。昨今は道路も整備されて車で行けるようになったが、車から降りた途端そこは太古の昔からの秘境の景色が目に映るからだ・・・

 NHK大河ドラマ「真田丸」のタイトルバックに、この米子瀑布が登場する。切り立った瀑布のうえに城が描かれているが、このことについて須坂市に「滝の上にお城があるのか」「城に行けるのか」等の問い合わせがGWに寄せられたと言う。残念なことに瀑布の上に城があった史実はない。屹度TVの映像をみてこのGWには数多の人が城を見るために米子瀑布を訪れたに違いない。有難いことである。

 私も在所でありながら、外輪山の根子岳には小学生で集団登山をしたが、米子瀑布を直に見たのは、18歳の誕生日の記念として、友人ら三人で米子瀑布に行くことを決したその日であった。当時は米子不動寺里宮までバスで行き、そこからは徒歩で山道をとぼとぼと登り奥の院に辿り着く手立てしかなかった。かって米子鉱山があったころに、鉱山の関係者や工夫が里に通うために踏み固めた道が、当時は未だ名残を留めていたので、この道を辿り奥ノ院に行くこととした。

 思い出は確かではないが当時の道すがらを記せば、里宮から硯平に出て米子川を眼下に見ながら山道を登った。やがて道は坂道となり米子川の河原に出た。そこからは左岸を上流に向けて歩いた。途中吊り橋を渡り右岸をの歩く。そして左岸に渡り川伝いに川上に行くと、川が合流する箇所に至った。5万分の1の地図で確認すると、そこが不動滝の川の合流するところであった。お堂らしき建物を目指して更に進むと、漸く奥ノ院に到着したのだった。それほどに米子瀑布は里宮から遠く米子の山奥にある秘境であった。

 凡そ50年前の米子不動寺奥ノ院周辺は今とは違って、修験者が寝泊りする平屋の自炊小屋があって、奥ノ院のお堂内には堂守らしき老人がいた。蜂がお堂の中を飛び交うのを防ぐために大きな独鈷を燻していて、お堂の中は煙で目が沁みてしまい長居ができなかったが、それでも三人は御不動尊に手を合わせた。堂守は慣れたもので燻る煙も何ともないらしい。古来よりこの地は修験者が滝に打たれて修行するお不動さん信仰の聖地であったのだった。

 持参したむすびを丘の上にある旧鉄索場跡地で食べ、再びお堂に戻り不動滝直下まで進んで滝の飛沫を浴びた。滝の直下は柱状節理の絶壁の岩肌が襲いかかるようで、茲が明らかに噴火口の真下であることが分かる怖さがあった。天を仰いでいると俄かに入道雲が黒雲化しているではないか。これは夕立に見舞われると直感した。「米子の夕立は怖い」と聞いているので、三人は直ちにお堂を発ち、早足で山を駆け下りた。途中休むことも一切しないでしないで、兎に角麓の里宮に戻り、更に亀倉の知人宅まで駆け下ったことが昨日のように思い出される。

 今も昔も米子の谷間(たにあい)は、夏は雷雨になると雷鳴が激しく轟き、冬は四阿颪(あずまおろし)が、これでもかこれでもかと容赦なく寒風を吹き曝すが、気候も地形も魅力溢れる地である・・・

 かってこの外輪山の底には、硫黄の採掘・精錬を行った米子鉱山があって、小学校や中学校の分校があり、所帯持ちが生計を共にした硫黄鉱山町が存在していた。私の知人はこの地で生を受け、廃坑になるまでこの地で過ごした人がいるが、米子鉱山は楽天地で楽しかったと語ってくれたことがある。かっては須坂駅からこの鉱山までは鉄索が引かれていて、毎日定時に鉄索が硫黄を須坂駅脇の集積場まで稼動していたが、今は高齢者になった人たちだけが知っている事かもしれない。

 機会があれば、健脚のうちに一度は米子大瀑布を訪ねられることをお勧めする。鉱山跡は整備されているが瀑布は古来からの手不付の姿でいる。旧鉄索場跡地から望む滝頭の岩の減り具合が、今に伝えられる凡そ7千年前の外輪山の一部崩落からの時を刻んで浸食しているのだろうかと感じられるであろう。


米子大瀑布へリンク

関連記事
スポンサーサイト

テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済