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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
惜別

平成27年11月24日、須坂市議会は「平成27年12月須坂市議会定例会」が招集。
同僚議員であった宮本勇雄議員が10月30日ご逝去され、議会は本会議場において全員が故宮本勇雄議員に黙祷を捧げ、その後、議員を代表して佐藤壽三郎議員が哀悼演説を執行しました。以下はその演説の全文です。

追 悼 の 詞

 私は、ここに皆様の御賛同をいただき、議員一同を代表し、須坂市議会議員、故宮本勇雄議員の御霊に対し、謹んで哀悼の言葉を申し上げたいと存じます。

 宮本先輩は、去る9月29日の9月定例会閉会日、我々と共にいつもと変わらぬ公事に尽くされた後、互いに30日間の慰労の挨拶をかわして帰路についた一月後の10月30日、午前9時30分、胃がんにより御家族や近親の方々の真心こめた看護の甲斐もなく、再び帰らぬ旅路につかれてしまいました。

 突然の訃報に接し、言いようもない驚きと悲しみは、誠に痛惜の極みであり、御遺族の方々の胸中に思いをいたすとき、お慰めの言葉もありません。今月1日、しめやかに葬儀がとり行われ、皆さんと共にお別れをしたところであります。

 本日、ここに平成27年12月須坂市議会定例会が招集されましたが、私と席を並べる宮本先輩の、20番議席にお姿はありません。代わりにあるのは、美しい花と無言の遺影があります。本当に寂しい限りであります。議員一同将に惜別の情を禁じ得ないところであります。

 宮本先輩は、昭和17年5月、市内の大日向町で、プロ野球の入団テストを受けるほどの強健な身体に恵まれて誕生され、向学のこころ厚くして須坂園芸高等学校に進まれ、長野電鉄に入社し、社会人として歩み始めたにも拘わらず、建設業界に転身、二級建築士の資格を取得し、若くして宮本工務店を興されました。

 自営業に励まれる傍ら、その優れた識見と先見性、洞察力に加え円満にして清廉潔白な人柄により、地元の発展にも積極的に献身され、その着実な業績のもと、豊丘地区の方々をはじめ、広く市民から親愛の情と敬意に支えられて、平成7年2月に須坂市議会議員に見事初当選をされました。爾来、連続6期20年8カ月の長期に渡り、議会の重鎮として活躍されて来られました。

 私にとって一期先輩であられましたので、私が初当選した平成11年2月の、当時のことを思い出しますと、先輩は社会常任委員会委員長に就任され、核家族化が進み、子育ての環境も変化する中にあって、安心して子供を産み育てる環境づくりを最優先すべきであると、行政に積極的に助言をされ、平成13年4月からの子育て支援センター事業の開始へと導いたことから、須坂市は高甫保育園を拠点園に専任の職員が配置され、育児相談や子育てサークルへの支援、更に子育て講座の開催を通して、未就園児や保護者の交流を促し、地域全体で子育てを支援する基盤を築いたのであります。

 また、先輩は、地球温暖化やオゾン層の破壊など、地球規模での課題が表面化する中にあって、須坂市においても環境問題への取組みが必要であり、そのためには一人ひとりが環境問題について意識向上につながる施策を行うべきであると提言され、平成12年10月からのプラスチック類の分別収集開始へと導き、市民の環境問題に対する意識の向上につなげると共に、このことは可燃ごみが減量化されるなどの効果を生んだのであります。

 平成14年9月には、 代表世話人に永井一雄議員、2期議員に宮本勇雄議員、滝澤肇議員、善財文夫議員、1期議員に永井光明議員、豊田清寧議員、浅野隆一議員、島田和子議員、土谷フミエ議員、そして私と10名の議員が、「開かれた須坂市議会をめざす議員連盟」を立ち上げ、4章38項目に渡る「開かれた須坂市議会をめざす提言」を、当時の北澤正啓議長に提出し、合わせて内外に公表をしました。

 更に議会運営委員会に「一般質問は、対面式で一問一答とする」ことを提唱しましたが、当時の議会運営委員会のメンバーは、厳格に議会の伝統を重んじる方々であり、中々改革を受け入れてくれませんでした。宮本先輩が平成15年2月に議会運営委員長に就任さてからの2年間は、先輩は議会の円満な運営にじんすい尽瘁する一方、市民に分かりやすい透明性を目指す『開かれた須坂市議会をめざす』設立メンバーであったこともあり、議会改革の推進に拍車がかかりました。このことによって、今に見る対面式・一問一答の門戸をこじ開けることができました。「開かれた須坂市議会をめざす提言」の多くの項目は、宮本先輩が議会運営委員長であったればこそ、飛躍的に叶うことが出来たものであり、この事実は須坂市議会がある限り、永く語り継がれることと確信します。

 また、平成21年2月からの2年間は、須坂市監査委員として、市政執行に適切なる指導助言をされ、市政の健全なる発展に多大な貢献をされました。そのほか、土地開発公社監事、市街地総合整備対策特別副委員長、議会運営委員会副委員長等の要職を歴任され、豊富な経験、秀抜なる識見をもって、須坂市の教育、文化、福祉、産業の向上、振興に熱意を持って取り組まれ、多大な業績を残されました。

 これらの功績によりまして、本年4月には北信越市議会議長会長表彰、6月には全国市議会議長会長表彰を受賞されました。
この受賞は、議員生活20年余の長きに渡り、須坂市政の枢機に参画し、卓越せる知性と不断の熱誠とをもって、市政の推進に邁進せられ、多大の功績を積まれた議員にのみ与えられる、栄誉ある受賞であります。

 議会外の活動としては、
 かって、当市議会は毎年6月に野球部を結成して、他市町村議会との交流試合を盛んに行いました。私の背番号は18番のエース番号でありますが、私は投手でもキャッチャーでも選手ではなく、1期のときから応援団長を命ぜられ、定位置は何とベンチの屋根に登って大きな声を張り上げ、マネージャーを命じられた島田議員と共に、選手を応援する役目でした。

 ところで、私と宮本勇雄投手とで、一つの大きな約束をしました。それは、「フルカントでピンチの時は、必ず私とサインの交換をする約束」でした。ピンチになると宮本先輩がマウンドからベンチの屋根の私に目を向けます。私は決まって「速球でストレート! しかも三振を獲る!」サインを出します。彼は小さく頷き、速球のストレートを投げて、打者を三振に仕留めたものです。作戦が叶った時は「してやったり!」と応援団長として、手のひらが真っ赤になるほど手を敲き、宮本投手を讃えたことは、幾たびかありました。

 宮本先輩とは、平成23年5月から昨年11月までの3年間余に渡って、当時の4会派合同による議会報告会を、新自由クラブ(田中章司、佐藤壽三郎)、無所属クラブ(北澤雄一、宮本勇雄)、須坂市民クラブ(宮坂誠一、岩田修二)、日本共産党(竹内 勉、土谷フミエ)の8議員で延べ15回開催しましたが、古参議員にも拘わらず、一期議員と分担しての説明役を快くお引き受け頂いたことや、議員研修会に積極的にご参加されておられたことを偲ぶとき、共に議会報告会を行った仲間たちは、生涯宮本先輩を忘れることはないでしょう。

 今月12日・13日に、市長や議員を対象として開催した、全国市町村国際文化研修所の「人口減少社会に対応した行政運営をテーマとする、トップマネジメントセミナー」に、我々議員の中で只一人、宮本先輩が参加申し込みをされていたということを、議会事務局からお聞きましたが、既に病魔に冒されていたであろう体調が優れない中で、最後の最後まで議員として研鑽を積む、探究心に深く感銘を受けた次第であります。

 このように、長老であり尊敬する大ベテラン議員を失ったことは痛恨の極みであり、須坂市議会はもとより、須坂市政にとりましても、須坂市民にとっても、その損失は図りしれません。
生者必滅会者定離とはいいながら、余りにもはかない人生の無情を嘆かざるを得ません。然し乍ら、御生前の幾多の御功績は、今後いよいよその実を結び、この地に長く伝えられることであります。

 我々は、先輩の残された幾多の御功績を範となし、その足跡を指標とし、大きな志を継承して、須坂市発展のために最善の努力を傾注することを、ここにお誓い申し上げます。

 ここに宮本勇雄議員の、ありし日の面影をしのび、生前の御功績を讃え、只管ご冥福と御遺族の前途に限りない御加護を賜らんことをご祈念申し上げまして、追悼の詞といたします。 合掌

議員一同代表 佐藤壽三郎

開かれた須坂市議会をめざす提言書

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