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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
為せば成る
須坂に雇用の場があってこそ、子孫は住み続けられる

 太陽誘電モバイルテクノロジー株式会社須坂工場が「5月14日に、「須坂工場機能を青梅に年度末をめどに全面移管する」と発表しました。洵に残念なことであります。須坂新聞の5月24日付記事から、須坂工場には約370名もの従業員の方々がおられることが分かります。ご家族の数を合わせると相当数の皆さんが、この須坂で生活をされていたこと分ります。将に須坂市民であられるのです。この須坂から移動されることになるとすれば、須坂市にとっての友人・隣人がこの須坂から去られるだけでなく、経済(産業)・雇用の場、市の財政的にも太陽誘電を失うことは大きな損失であります。

◇人口の急減時代が叫ばれております。日本の人口は然らばどのくらいなのかの話しになります。
【平成26年1月1日現在(確定値)】
 <総人口> 1億2722万人で,前年同月に比べ減少 ▲22万5千人 (▲0.18%)
  0~14歳人口は 1636万6千人で,前年同月に比べ減少▲15万8千人(▲0.96%)
  15~64歳人口は 7873万5千人で 前年同月に比べ減少▲116万6千人(▲1.46%)
  65歳以上人口は 3211万8千人で,前年同月に比べ増109万9千人( 3.54%)

◇ であれば、須坂の話しになります。須坂市から提供された最新数値によれば、
  2013年10月1日現在の須坂市の人口状況は
  14歳以下が 7020人 (13.43%)
  15歳から64歳生産年齢人口は、30.583人、58.5%
  65歳以上の老齢人口は14.675人、28.7%とのことであります。

◇全国には、平成26年4月1日現在、1742市町村があります。
◇因みに長野県は、77市町村(19の市、23の町、35の村)があります。
日本創生会議・人口減少問題検討分科会が中央公論6月号に「消滅する市町村523全リスト」記事に、全国の地方自治体は一喜一憂したことと思います。我が須坂市の2010年の人口52168人が、30年後の2040年には35708人になり、20~39歳までの女性が、2010年で5372人が、30年後の2040年には2833人と実に47.3%もの人口変化率に、私も正直驚きました。えらいことであります。

◇この人口急減社会で、須坂市が強かに生き延びねばならない方策は、「須坂の住民は生涯に亘って、この須坂で生計を立てる手立てを考えた場合に、それは「この須坂に十分な雇用の場を設けることに尽きます。」雇用の場があり、安定した収入があれば、若者は進学等のために一時期は須坂を離れるも、大学や専門学校を終えたならば、この須坂にUターンし地元の企業に就職、或いは就農すべく、須坂に生活の場を求めるでしょう。女性も生きていくために県外に流出することもなく、少子化対策として取り沙汰される、出生率や出生数も改善されるものと確信します。

◇私は予てから「須坂の地場資本へのテコ入れ、地場産業の育成」を提唱しておりますが、今こそ須坂市は本腰を入れて須坂の企業、商工会議所、農協等とスクラムを組んで、「人口急減社会」を乗り切ることが必要と発言しております。須坂に雇用の場が確保されてこそ、子孫はこの須坂に住み続けられると確信しております。

◇地方都市での人口減少現象は、実は戦後の昭和20年代にはじまっているのです。戦争で国中の工場が破壊され、米軍の空襲を避けるために、生まれ故郷の生家に戦争避難していた人々が、終戦に伴い産業復興の旗印に、再び大都会へ食うがために流出した戦後の現象と捉えるべきであります。この地方の人口の流出は雪崩現象として、それ以降ずっと続くこととなり、景気の復興は「金の卵」と称された世代の都会への流出を促しました。
 昭和40年初頭の団塊の世代の大都市への就職や、進学と都会への流出はいよいよ顕著になりました。人としての死活問題である雇用の場への移住は、当たり前の現象と申せます。この時期の日本中を俯瞰すると、この時期の日本の人口は増加していました。団塊の世代に象徴されるように人口は膨張していたが、只、地方に雇用の場が無いために、都会に人口が流出していたのであります。

 人は人生において四度(よたび)住居の選択があると増田元総務大臣は示される。「18歳の時の高卒時に大学進学、或いは就職か、22歳時の大学卒業時の就職か帰郷か。30歳頃の帰郷か。60歳定年時の帰郷か都会を終の棲家の選択か」であると・・・
 都会脱出のパターンはI、J、Uターンが考えられますが、生活する上の利便性等を考えると、都会生活が若者には魅力があり、郷里に戻っても雇用の場が無い事情から、都会脱出をあきらめ都会に落ち着かざるを得ないのが現実であります。小職も30歳の折りに帰郷しましたが、住むなら生れ故郷とする思いと、独身であればこそ出来た都会脱出劇でありました。

◇先見性のある政治家や政府もこのことに苦慮し、過去に様々な施策を検討し、様々の案を実施しつつも、地方の人口の大都会流出の勢いは、大河の氾濫の如きものとなり、様々な地方自治体のダム(施策)を押しのけてしまい、様々な施策も効果をえることなく、恰も土石流が狭隘な谷川を駆け下けくだる様(さま)の結果であったように私には思えてなりません。この国内における都会への人の移動と少子化は次元の違う問題として解明しなければなりませんが、日本の人口がある時期から総体的に減少しつつある。このことを捉えての少子化問題を捉えなければなりません。

 かって都会への働き手の供給源であった地方も、今や少子高齢化が予想以上に進み、地方市町村は人口の減少が顕著であります。私が学生であった昭和40年代中頃は、東京の7人に1人は長野県人だと言われていました。この供給源であった長野県も、少子化が今や大きな社会問題として重く県内の市町村にのしかかっています。これらの百年の計を要する課題に取組んでいる先進地自治体を対象として、今全国の市町村が一斉に「地域おこし協力隊」政策を展開しております。都会からの人口の分捕り合戦が展開しています。須坂市も必死に展開しております。

◇前述のとおり、須坂市も「地域おこし協力隊」を導入しました。そこで本年度の市議会総務文教委員会は視察テーマとし「信州須坂移住定住支援チームに係わる先進地施策の事例」そして「須坂市の人口増加プロジェクトと先進地自治体との比較検討」を抱えて、鹿児島県霧島市、垂水市と宮崎県えびの市に、5月12日から3日間をかけて、行政視察を執り行ない教えを請いました。視察を終えての結論としては、「結局は移住希望者の奪い合いによよる、地域おこし協力隊政策は、早晩暗礁にぶち当たる」と感じます。単なるパイの分分捕り合戦には移住は馴染まないからです。もっと生活の本拠地や一家を形成することは奥深い心の拠り所であるからです。

◇人間は様々な人生の岐路を経て、今の自分や家族や生活があります。都会にでて一生を過ごすも、須坂で一生を過ごすも本人或いは家族の自由であります。我々が先輩面して、子孫や後輩に、願わくば郷里が子どもたちが大きく羽ばたく場でもあり、糧を十分に得て家庭がもてる地であり、生涯の塒(ねぐら)でもあるための町づくりが理想であります。然しながら理想と現実のかい離がある中での、前述のとおり願いでもある施策を諮ることは中々難しい。郷土づくりは「一人はみんなのために、みんなは郷土のために」が、今こそ大切な「合言葉」とも言えます。然し先ず地方都市に雇用の場がない限りUターンしてきても生活していけない。仙人でもない我々は「霞み」を食って生きては生けない。然し雇用の場がなければ地方市町村の人口は減少し、地方は衰退することは誰しもが分かり懸念する課題でもあるが、解消策は暗中模索であり本日の討論会で皆様が真摯に論議されることこそが、大変有意義でありヒントが得られるものと期待しております。

 もう一度申上げますが、須坂に雇用の場があってこそ、子孫は住み続けられる。郷里須坂市が存立しうるということであります。

※本稿は7月12日、第14回4会派合同議会報告会、第二部<人口急減社会を今語ろう> 〇人口急減社会が叫ばれる問題点の検証と対策について。の基調講演の講師として発表した原稿に加筆したものです。

 

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