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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
半信半疑
土石流に心痛む

9日、長野県南木曽町で発生した土石流で中学生が犠牲になられた。少年は様々な大志を抱いて日々を過ごしていたであろう。天災という禍によって一瞬のうちにその将来を奪われたことを思う時、さぞかし無念であったことと拝察する。心よりご冥福をお祈り申上げます。

須坂市も、昭和56年8月23日早朝宇原川で土石流が発生し10名もの命が奪われた。今に伝える「宇原川56災害」である。

あの日は・・・
前夜から平地である市街地でも今まで経験したことのない、バケツをひっくり返して屋根に叩きつけるような雨が降り続いた。滝の傍にいるような脅威を感じる降りかたであった。
23日早朝会社の専務から「Tさんが生き埋めになったらしい。至急来てくれ」との電話があり、取るものもとらず仁礼の西原に上った。栃倉辺りの宇原川は千曲川が山里に移動したかの川幅と水量であった。黄色に濁った川幅は大蛇が蠢いている如く異様であった。見馴れた景色がただならぬ景色へと変貌していることを理解するには時間が必要であったが、これが土石流の爪痕かと初めて知った。高台にあったT宅に漸く辿り着く。宇原川沿いにあったT氏の生家の家屋は流失して残骸だけが残っていた。美しい田園風景であった棚田は泥で見る影もなかった。

T宅に入る。座敷にはTさんが既に安置されていたが何と酷い話ではないか。Tさんの娘さん、ご尊父の遺体が病院から帰って来た。我々を含め消防団や地域の皆で行方不明になってしまったT夫人を見つけることとした。泥に埋まってしまったのではないかと言うことで、災害復旧に派遣された建設会社のバックホォ(大型油圧ショベル)で、少しずつ土砂を剥ぐように遺体を幾日も探したが発見されなかった。夫人の遺体は災害発生から凡そ1ヶ月後に、10kmも下流の千曲川の河川敷で発見された。この災害の犠牲者にTさん一家では4人の命が奪われた。災害の発生する前日の退社時には、元気な声で「お先に!おやすみ・・・」と別れのあいさつをされて帰ったものである・・・

「幸と禍は糾える縄の如し」と史記には書かれているが、人の生死は全く一寸先は闇でしかない。この非情な現実を私は生涯忘れられない。否々、忘れてはならない悲劇であったと心に刻んでいる。

大雨と土石流は因果関係が深いが、「まさかこの川で?」 「まさかこの沢で?」の事故が多い。近年は台風の規模も桁外れの大型になり、台風の中心より遠く離れていた信州に大雨が襲い、土石流を引き起こすことなど。ここ中央西線を利用して名古屋方面に出張る機会も多くなり、木曽路を往復する中で「南木曽駅」に停車する列車に乗合わし、穏やかな山間の駅の印象が強かった分、土石流で破壊された報道映像に心が痛む。

政治の力がどこまで天災を防げるか。我々は自然がもつ破壊力を、現代科学や土木技術によって押さえようとするのではなく、適宜に避けることが大切なのかも知れない。聊かも自然に驕るなかれと。その意味では政治は自然の破壊力に非力でしかない。議員として非力に心痛める課題である。

宇原川56災害へリンク

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