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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
机上理論では空転する国家事業
全国の地方市町村が誘(いざな)う、都会住民への移住定住作戦の全開だ

少子高齢化社会のゆがみ構造を何とか打破しなければ、これに伴い様々な問題が生ずる。人口減少すれば「良いことづくめだ」とする論者もおられるが、果たしてどうであろうか。成る程経済は萎縮し採算の取れない企業や製造部門は淘汰され、公害被害の事例は減少するであろうが、高度経済成長期に「パンドラの箱」を開けてしまった我々は、CO2をはじめとする地球環境問題や医療・福祉、雇用、そして年金問題等の課題が、人口減少によって悉く減少或いは解消や解決できるのであろうか。甚だ疑問であると私は感じる。

地方都市での人口減少現象は、実は戦後の昭和20年代にはじまっている。戦争で国中の工場が破壊され、米軍の空襲を避けるために、生まれ故郷の生家に戦争避難していた人々が、終戦に伴い産業復興の旗印に、再び大都会へ食うがために移住した戦後の現象と捉えるべきである。この地方の人口の流出は雪崩現象として、それ以降ずっと続くこととなる。景気の復興は「金の卵」と称された世代の都会への流出を促した。昭和40年初頭の団塊の世代の大都市への就職や進学と都会への流出はいよいよ顕著になった。人としての死活問題である雇用の場への移住は当たり前の現象であった。

視点を変えてこの時期の日本中を俯瞰すると、この時期の日本の人口は増加していた。団塊の世代に象徴されるように人口は膨張していたが、只、地方に雇用の場が無いために、都会に人口が流出していた現象である。人は人生において四度(よたび)住居の選択があると増田元総務大臣は示される。「18歳の時の高卒時に大学進学、或いは就職か、22歳時の大学卒業時の就職か帰郷か。30歳頃の帰郷か。60歳定年時の帰郷か都会を終の棲家の選択」である。都会脱出のパターンはI、J、Uターンが考えられるが、生活する上の利便性等を考えると都会生活が若者には魅力があり、郷里に戻っても雇用の場が無い事情から、都会脱出をあきらめ都会に落ち着かざるを得ないのが現実である。小職も30歳の折りに帰郷したが、住むなら生れ故郷とする思いと、独身であればこそ出来た都会脱出劇である。

先見性のある政治家や政府もこのことに苦慮し、過去に様々な施策を検討し、様々の案を実施しつつも、地方の人口の大都会流出の勢いは、大河の氾濫の如きものとなり、様々な地方自治体のダム(施策)を押しのけてしまい、様々な施策も効果をえることなく、恰も土石流が狭隘な谷川を駆け下けくだる様(さま)の結果であったように私には思えてならない。この国内における都会への人の移動と少子化は次元の違う問題として解明しなければならないが、日本の人口がある時期から総体的に減少しつつある。このことを捉えての少子化問題として捉えねばならない。

余談であるが、日本経済の成長を支えた「働き手」の供給源は実は地方であった。一極集中即ち東京への人口集中はは昭和の40年代に顕著であったと記憶する。団塊の世代は今思うと長男や長女が多かった。男子同級生の実に半数が生れ故郷を離れたが、そのうちの大多数が長男であったこともあり、後に郷里に後にUターンした。

かって都会への働き手の供給源であった地方も、今や少子高齢化が予想以上に進み、地方市町村は人口の減少が顕著である。今や大きな社会問題として重く地方市町村にのしかかっている。これらの百年の計を要する課題に取組んでいる先進地自治体を対象として、「地域おこし協力隊の導入における先進地の活動と成果」、「信州須坂移住定住支援チームに係わる先進地施策の事例」そして当須坂市の前期重点プロジェクトでもある、「人口増加プロジェクトと先進地自治体との比較検討」を、本年度の総務文教委員会は視察テーマとした。そこでこのテーマの取組の先進地である、鹿児島県霧島市、垂水市と宮崎県えびの市に、5月12日から3日間をかけて、行政視察を執り行ない教えを請いました。訪問した市から惜しみなく提供された情報と、現場の担当職員との意見交換の内容を取りまとめ、私なりに分析うを行い一つの結果をまとめたいと思いますが、暫くの時間が必要です。

「人生は一度限りでやり直しが効かない。本は誤字や脱字、文章の抜け落ちが発見されれば、改訂版で刷り直すこと出来る(やり直しが効く)が、人生はこれを許されないものである。一日一日を真剣に生きるように努めなさい」と高校時代に校長先生が語られたことの言葉の重みを、将にその通りであるとつくずく感じる。人間は様々な人生の岐路を経て今の自分(生活)がある。都会にでて一生を過ごすも、生れ在所で一生を過ごすも本人の自由である。我々が先人として子孫や後輩に、願わくば郷里が子どもたちが大きく羽ばたく場でもあり、糧を十分に得て家庭がもてる地であり、生涯の塒(ねぐら)でもあるための町づくりが理想である。然しながら理想と現実のかい離がある中での前述の願いでもある施策を諮ることは中々難しい。郷土づくりは「一人はみんなのために、みんなは郷土のために」が、今こそ大切な「合言葉」といえる。地方都市に雇用の場がない限り生活していけない。仙人でもない我々は「霞み」を食って生きては生けない。地方市町村の人口は減少し、地方は衰退することは誰しもが分かり懸念する課題でもあるが、解消策は暗中模索だ。

羽田より鹿児島に向かう上空で、霊峰富士山がくっきりと眼下に映えていた。

H2605富士山
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