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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
正義を噛みしめる
 議員は先んじて憲法を読み解こう

 体罰といじめ問題が取り沙汰されている。大いに論議をされて一つの光明を導き出すことが必要であるが、正直言って私はいつの世もこれらの問題については、名刀で竹を切るような明確な結論は悲しいかな望めないと感じる。そこには日本人の根底に横たわる「まあまあ」を了とする玉虫的思想感があるからかもしれない。

 日本人に人権感覚が殆どないことも大きな要因と言える。人権感覚は高齢者になればなるほど閉鎖的消極的な取扱になる。又、都会で育った人と地方の片田舎で育った人との感覚のズレは歴然である。知的レベルの高い家庭に育ったか否かも大きい。十代の末期に上京し法律学徒として憲法を学んだ折に、自分の抱く人権感覚が実は全く独善的未熟なものであることを思い知らされたものであった。

 憲法第15条の条文になる「門地」を血統と感じる子孫ほど、人権感覚は総論賛成なるも各論は頑なに拒むものである。このことは高学歴を有し社会的な地位を昇りつめた人も、折節に発する言の葉においても人権感覚がゼロであることを窺わせるものであり失望も甚だしい。

 一方、小生意気に意気がる御仁ほど人権感覚はゼロに等しい。人権に拘わる歴史や近代社会において、如何に人権を時の権力者に平等と自由を認めさせたかの、人類が血と命を引き換えに奪ったものであることを、過去において時間を割いて真摯に学んだことが、果してあるのであろうかと感じるからだ。人の人格を否定するような発言を平気で発し、事実調査を十分にすることなく感情の赴くままに、言葉巧みに発言されても、そもそも歴史認識の裏付けのない発言では、全てが欺瞞に満ちた言の葉に変わる。況や利己主義と個人主義の定義を解さず整合性のない論理を得意満面に繰り返す様に、市民の眼には狡猾な痴者を見抜きこのような者に人々は信頼を寄せるであろうか。罪を犯した者に対しては応報として罪の償いをきっちりとさせる姿勢が必要である。

 議員が市民から選挙という民主主義制度を堅持する、最も重要な「ふるい」を経て議場に選出されていることを失念し、強権的な覇権主義を振りかざすことは許されない。然し、意気地のないのはその言動に隷属する議員も議員である。とても人権を語れる議会とは程遠い。我々は意識的に憲法の条文を読み解き、その歴史的背景にあるのは、人類が何百万人もの血と汗と命の犠牲の引き換えによって手に入れた尊いものである事実である。ここで我々は人間の尊厳とは何かを見つめ直さねば、体罰やいじめ問題は何らその実像を捉えることはできないのではないか。

 正当な理由のない、行過ぎた体罰は、独善で恣意的な私刑(リンチ)に他ならない。人の心身を蝕み、その傷は生涯に亘り嫉みとして刻まれる。いじめも亦然り。いじめは複数で集団的に行われるケースが多い。責任の分散を諮る意図があるのかもしれないが、いじめ行為は寧ろ体罰よりもより悪質な共同行為として捉えるべきである。

 体罰といじめ問題は相対関係にあることを十分に認識して、故なく人に対して体罰やいじめ行為をし、因って人の心身を暴行若しくは傷害によって損ねた者は、司法的に厳罰を以って処罰する毅然たる姿勢を示さねば、体罰やいじめは根絶するものではない。

 
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