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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
雨には負けず
雨宿りしたくとも

歩道の整備が進んだが、これもメリットとデメリットがある。市街地はさておき、郊外の住宅地では道が整備され歩道が出来ても、店舗でもない限りこの歩道際に家を建てることはまずない。殆どが住宅であることから歩道から奥まった所に建築するので、にわか雨にみまわれても歩道わきの建物の軒下に逃げ込んで雨宿りは出来ない。下校時の子どもが、雨宿りも出来ない侭只管濡れて帰ざるを得ない事情はそこにある。雨宿りとは仰々しく人様に敷地に深く入り込むことなく、道に面した軒先を拝借しての一時凌ぎであるからである。

東京での生活時代を思い出すと・・・。
上京したてのころは、東京は「光化学スモッグ」の全盛時で空はいつもどんよりしていました。田舎では考えられない空模様であるので、てっきり雨が降ると思いこみ、連日長靴とコウモリを片手の毎日でしたが中々雨が振りません。長靴を止め革靴で傘も持たない日に限って皮肉にも雨がふるんですな。雨宿りは駅位しかなく、雨宿りの場所がなく懲りたからです。特に夜10時ごろ駅から15分も歩かねばならない下宿屋まで雨に濡れて帰ると学生服はずぶ濡れで肌着まで濡れてしまう侘びしさは切なかった。

地下鉄で下車駅の改札を出て地上に昇ると雨であったことに遭遇した経験は誰しもがある。田舎出の私にとって、東京に家族がいるでなし、この町に友人が居るでなし、傘の届く期待はまず無かった。然し何時間駅も入口で雨が止むまで待つことは良策ではなかった。雨足が弱くなると駅から5分の下宿まで濡れても行こうと決断し走りだす。が然し、駅から出て神田川を渡りきった所にあるパチンコ屋に逃げ込んだり、本屋に避難しての雨宿りであった。下宿に帰る時間が不規則なこともあり、私のバックの底には、常に当時としては最も軽量で小型の折りたたみ傘を携行するようになりました・・・。

ところで、銀座は昭和40年代には既に地下街が蟻の巣の如く発達していて、雨の時でも地下街を利用すれば大概の用が足りた。ビルからビルの連絡路を渡り歩くのも亦一興であった。高いビルとビルの路地は比較的雨にぬれることもなく平気で歩くことが出来た。雨が降ると地下街の通路は人であふれていた。事務所から和光口までほんの数秒で地下通路に入り銀座からは都内の主だったターミナルには風雨に関係なく行けたが、今思うに改めて大都会のスケールの大きさに感服する。

田舎は車社会であり、どこに行くにも車で動くので傘は必要なくなった。都会では電車に乗るので読書が出来たが、田舎暮らしは自分で運転して目的地まで行かなければならないので読書は出来なくなった。ラジオかカセットを聴きながら車を走らすこととなった・・・。

話を本論に戻そう。子どもたちは車で登校できない。にわか雨には打つ手がない。比較的降雨量が少ない善光寺平の天候特長からしても、濡れて帰るのも人生において必要な修行とも思える。雨に強い子になって欲しい。



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