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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
年賀状一考
年賀状一考


 新年はやはり一節の節目でなければならない。何十年も逢っていない市外の同級生や幼馴染み、あるいは恩師や友人、知人の所在を確かめあう「糸電話」の役目は大きい。将にその大多数は年1回の定期便である。

 年賀状のやり取りは何十年も交わすと、手元に届いた年賀状を一枚一枚確かめ読みをするのがとても楽しい。
市外(選挙区外)の皆さんに年賀状を差し出すことは議員も許されている。千曲市、佐久市、岡谷市、杉並区、練馬区、長野市・・・と全国各地に散らばる。そこで私は年賀状の宛書を先ず行う。私は住所と名前を見てから一気に墨書する。そして一枚一枚受取人の顔を思い出しては筆をとる。この世に1枚しかない年賀状を書きあげることを心掛けている。

 議員は、選挙区内への年賀状は禁じされている。市内は年賀状を頂いた方々にのみ返信として差し出すこととなるので、年々市外の年賀状の枚数の方が僅かに上回る傾向にある。どうしても受け身にならざるを得ないがいたし方ない。

 今日は正月7日、そろそろ年賀状の最終便が届けられていると言える。「年賀状は年が改まってから書くべきで、そうでなければ年賀状とは言えない」と言い張り、元旦以降に差し出される御仁もおられるからである。この言い分にも一理ある。新たな風を感じて一筆したためる賀状でなければ年賀状とは言えんだろう・・・

 年賀状の中には、自作の「版画」の刷り込みがなされたものがある。ここ何十年もの間頂いているものであるが、十分な構想と手間暇がかけられた作品に毎年魅入る。正直、今年はどんな作品が登場するかこころ待ちしているが、いつの年も裏切らない真心のこもった賀状が届けられる。

 旧臘、賀状交換をしていた御遺族から、本人逝去につき欠礼のあいさつ状を頂いた。毎年繰り返されるものであはあるが欠礼挨拶状を手にする度に心が痛む。「糸電話」の糸がぷっつり切れてしまうからである。交誼のあった友人や知人のご遺族とは余ほどでない限り引き続いての賀状のやり取りは継続し難いからである。御一家に笑顔が一日も早く戻られるを御祈念する限りである・・・


 昨夜観た映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」は、見終えてからの何とも言えない交々の思いが交錯した。あらゆる生ある生き物は老いる。生まれた時に八十歳の老人がこの自然の摂理を逆行していくことは、交差する数年は了としても結果的には、実は摂理に反して日々若返ることは、決して幸せなものではなく、実はこれほどの悲劇はない事を投げかけた映画である。この作品は多くの人々に日毎の老いとの向き合いの摂理をあたためて衝撃を与えたのではなかろうか。

 映画を観賞していて感じたことは、我が父母は既に天国に召され、幼馴染みもも早天国に召された。恩師は齢(よわい)を重ねられるも健在でおられることは嬉しい。私もいつの間にか齢は還暦を超えて白髪が目立つ。女房も嫁いで来た日から確実に三十年の年輪が刻まれた。倅や娘もいつの間にか親離れをしている。一日の積み重ね、年々歳々人同じからず。これが摂理というものであるとは分かっていても否定したい部分もある。老いは或いは精彩をとかく欠くものとなる。願わくば張りのある年相応の生き方をしたいものである。

 頂いた年賀状を読みながら、改めて「行く年来る年」をあれこれと思いふける我が身である。
 




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