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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 前市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
故郷の山に向かいて
故郷の山の偉大さ

農免道路が未だ無かった昭和39年頃、興国寺の講堂に寝泊まりしていた頃の話である・・・
興国寺から自転車で横道を抜け、臥竜町通りを左に下ると、通りの真正面に越後の妙高山がくきりと見えた。自転車に乗って妙高山とにらめっこしながら坂道を下る・・・。
私はこの通りを「妙高通り」と名付けて、朝の空気を胸いっぱい吸って道を下ったものだった。
臥竜町通りも北原町では左に曲がり込む。これから先は通称「金井原通り」となるが、正面に見える山が、妙高山の左隣に鎮座する黒姫山ではなく、何と一つとんだ飯綱山に変わる。私はこの通りを「飯綱通り」と名付けて、やはりにらめっこしながら自転車に乗って自宅までの朝の日課であった・・・。

あれか遠い歳月が流れた・・・。
先日、自動車で用を足して、臥竜町通りを下ることがあって、ふと正面を見ると忘れていた「妙高山」が真正面に見えた。更に下って左にカーブを切ると、あったあった昔ながらのどっしりと鎮座したあの「飯綱山」がそこにあった・・・。

当時とは、須坂も町並みは大きく変わり、交差点には信号機が付き、当時のように悠長に山とにらめっこしながらの運転は許されないが、そこには少しも変っていない故郷の北信五岳があった。
故郷の山は偉大であり、故郷の山並みはありがたきかな、仰ぐ人々のこころをいつの世も慰めてくれる悠久のものと感じる。



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