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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 前市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
平野美宇選手「パリオリンピック選手」に選ばれる‼
平野美宇選手 おめでとう


卓球の世界選手権団体戦第9日は、2月24日、韓国・釜山で女子決勝が行われ、日本は中国に2―3で逆転負けて、5大会連続の準優勝で終わったが・・・
第3試合で平野美宇(木下グループ)選手は、王芸迪選手と対戦し3-0で勝利を収めた。
名実共に日本を代表する選手として、本世界選手権団体戦での彼女の成績は、一つもを落とさなかったことが素晴らしい。
女子の五輪のシングルス代表に選ばれた者である矜持を持ち、分を弁えない言動は禁物であるを肝に命じられ、どうか精進して欲しい。

日本卓球協会は2月5日、都内でパリ五輪男女日本代表予定選手の各3名を発表。
女子の五輪のシングルス代表に平野美宇(木下グループ)が選ばれた。
(2/5 TV TOYOU SPORTS より抜粋)

卓球の全日本選手権はR6.1月26日、東京体育館で第5日が行われ、女子シングルス6回戦で平野美宇(木下グループ)は大藤沙月(ミキハウス)にストレート勝ちして8強入りし、伊藤美誠(スターツ)は木村香純(名古屋)に3―4で敗れた。平野はパリ五輪のシングルス代表を確実にした。(読売新聞より抜粋)

平野美宇選手、おめでとう。
平野美宇選手は、若くして生き地獄を観た辛酸があるからこそ、この度の「パリ五輪代表選考会」でパリ五輪のシングルス代表を確実に出来たといえる。
将、真に鍛え抜いた「苦しみに打ち勝つ克己心」を修得し、これを心底に秘めている彼女の心意気の勝利である。「“まだまだ、できる”」、これこそが、辛酸を舐めた者だけが知る悟りの境地である。
勝利に慢心せずに、益々精進されてどうか「パリオリンピック選手」に確実に選ばれて欲しい。多くの悩める青少年に「へこたれない勇気」の尊さを示して欲しい。
決して奢ることなく頑張れ

令和5年11月25日の卓球・全農カップ大阪大会・パリ五輪代表選考対象大会を兼ねて行われたシングルス女子で、平野美宇選手が伊藤美誠選手に4―0のストレート勝ちを収めた一報にほっとしました。
パリ五輪代表に僅かに近づきつつあるが、確実な成績とは決して言えない。
今この時点で必要なのは、勝利に慢心せずに益々精進されて、どうか「パリオリンピック選手」に選ばれて欲しい。
多くの悩める青少年に「へこたれない勇気」の尊さを、是非示して欲しい。
決して奢ることなく頑張れ 君なら出来る・・・

令和5年6月18日のTリーグ・ノジマカップでも、決勝で伊藤美誠選手(22=スターツ)を破って初優勝し・・・
7月2日、クロアチア・ザグレブで行われていた「WTTコンテンダーザグレブ 2023」の決勝で、世界ランキング1位の孫穎莎(中国)選手を4-3で下し、優勝を果たし今季の国際大会で初Vを飾った。(日刊スポーツ記事より抜粋)
インターネット配信で観戦応援したが、彼女の「あきらめない勇気」が、格上の孫選手を打ち破ったと言える。天晴れだ

彼女の熱烈なファンである小生の期待に応えるかの活躍に、大いに満足している。
何故、彼女を応援するかは、後述の理由に他ならないが・・・
どうか勝利に慢心せずに、益々精進されて、どうか「パリオリンピック選手」に選ばれて欲しい
彼女の活躍は屹度、多くの悩める青少年に「へこたれない勇気」の尊さを示すものと確信する。
決して奢ることなく頑張れ
辛酸を舐めた君故に、「“まだまだ、できる”」の心意気があれば、その秘めたる底力が必ず希を叶えることが出来るものと信じている !

    【2022年11月14日分を再掲載】   幾歴辛酸志始堅
西郷隆盛の漢詩に偶成と題して「幾歴辛酸志始堅 丈夫玉砕愧甎全・・・」があるが、この漢詩は高校時代の漢文の授業で出会った。爾来、我が人生を貫く心意気とし、この教科書は東京に遊学した折も、常に手元に置いて復唱したが、いつの間にか紙は黄ばんでしまって、ページをそっと開くも凡そ六十年の歳月を沁々と感じる・・・

平野美宇選手が未だ十代半ばごろに、彼女の才覚を報道等で知ったが、それ以来彼女の言動を見守るにつけ、彼女こそ将来急度卓球界の第一人者になれると信じてた・・・
その後、順調に腕を磨き周知のとおりの活躍をするも、1960年ローマオリンピックでは補欠選手として辛酸を舐めた。
彼女にとって、屈辱な世話係であったことは容易に想像がつくが、彼女はこれに耐え忍び、見事裏方を務めあげた・・・

13日の全農カップ・トップ32船橋大会の決勝戦において、早田ひな選手を4―2で下して優勝した。TVで中継を観ていた私は、優勝の瞬間小躍りして喜んだこれこそが、彼女にとっての「幾歴辛酸志始堅」の結果だと讃えたい。





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