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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
おらが郷里の偉人・堀直虎公の夢はるか
須坂藩主堀直虎公への敬慕色あせず


定年後はボランティア活動を通して、郷里のために尽くされている御仁から陳情を頂きました。内容は概ね以下のとおりです。

「今年は直虎公の没後150年で皆さん集客に努力されて居るのは傍から見ても十分わかるのですが、県外の友人たちにマンガと共にゆかりの地の写真を送ってやろうと撮影に行きました。
しかし、現地に行って大変寂しく感じて参りました・・・
○臥竜山の霊廟には建物の前に霊廟との表示の柱があるだけで、直虎公についての案内板が無く、わざわざ訪ねてこられる方にはいかがなものでしょうか。
○奥田神社につきましても案内板はありますが、色あせて字が読みにくく、その他の史跡も全く観光地としての準備がなされていないように思われます。
○一部のそれなりの方にはお話いたしましたが、全く他人事もう150年も終わりに近く今更ですが、これはこれとして今後いろいろなイベントにもう少しきめの細かい対応を望みたい・・・」

早速、私は陳情の内容を確かめるべく、現地調査を行いました・・・


堀直虎公御霊屋
臥竜山中腹にある堀直虎公御霊屋


須坂藩主堀直虎公は須坂が誇れる「幕末の天下のご意見番」であられたと、私は思っております。
何故ならば、時の征夷大将軍徳川慶喜公の、即ち徳川幕閣の中枢に列席した直虎公の矜持と、変わりゆく時代のうねりに立ちはだかった、将に幕末の大きなうねりの中にあられた殿様であるからです。

幕府に忠誠心を押し通さんとする直虎公が、せねばならない幕臣としての諫めと、諫めた結果の自刃を慮るとき、須坂人は直虎公を誇りにこそ思えども、聊かも謗ることなどありえないことでありますが、150年前の当時の須坂藩は、直虎公の諌死をひた隠し、諌死に対する世間の心無い誹謗中傷に耐え忍んだことを察するに心が痛みます。

扨、
陳情その1の、「霊廟までの道標若しくは案内板設置の必要性」は、陳情者の申出のとおりでありましたので、至急職員の現地調査等の実施と道標と直虎公の偉業を伝える案内板の設置の必要性を市に訴えました。

陳情その2の、「奥田神社の案内板が色あせていて字が読みにくい」の件につきましては、立派な木造の案内板を確認する中で、陳情者のご指摘された「一部読みずらい」箇所もありましたので、市より奥田神社に取次ぎをお願いしました。

今から150年前の柵(しがらみ)が雁字搦めの時代に、新時代の到来を察知しながらも、柵に身動きできず義に殉じた直虎公の羈束の中の命と引き換えの抵抗に思いを馳せるとき、直虎公の誠実さ故の自刃は、時経て須坂に住まう後世の我々が直虎公を讃え、且つ偲ぶ縁(よすが)にせねば、直虎公は無駄死にとして何時しか歴史から消えてしまいます。それを須坂人は許してはなりません。この度、小職に寄せられた陳情は、極めて須坂人として抱く大切なご指摘であったものと感じます。

今回、陳情を賜って久々に直虎公の霊廟に参拝することができました。
思えば・・・
高校時代に、志を直虎公に誓うために毎晩午前零時過ぎに臥竜山山腹にある霊廟に参拝しました。雨が降っても雪が降っても、麓の石段を登り観音堂に手を合わせ、更に参道を分け入って霊廟に参拝した当時のことが思い返されました。
「述懐・若き日に藩侯の墓前に誓う」は、当時、上京する機会を得た決意を綴ったものです。


述懐・若き日 藩侯の墓前に誓う

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