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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 前市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
覆水盆に返らず
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや

 三十代半頃、久しく中学生時の同級会が開かれていないことから、何とかして同級会の復活をしようと発心しました。
 然し、卒業後の同級生の所在も分からず、先ず「所在確認」として「紙上同級会」開催を発案し、同級生の生家に問い合わせをしたり、生家も転居されていた場合は、連絡の取れる同級生に住居不明者の一覧リストを示して協力を仰ぎ、更に同級生が将来住居を変更された場合等は、私を「同級会事務局」として、生涯に亘って同級生の絆が切れない手立てを講じました。
 「紙上同級会」発案は、須坂在郷の11名の賛同を得て、『行く川・三十而立編』と『住所録』を作成・発行しました。「紙上同級会」に賛同し原稿を提出してくれた同級生は凡そ4割の20名に及び、同級会の復活は叶いました。

 当初から、「六十歳までは同級生が全員生きる」を願って、10年毎の齢(よわい)の節目を文集「行く川」として発刊し、不惑編(40歳)、知天命編(50歳)、耳順編(60歳)と名付け、副題である「○○編」の表題は何れも恩師にお願いして揮毫を戴こうと決めていました・・・

 この企画を60歳まで長期間に亘り実行するために、只管万年幹事として同級会の旗振りを決心しました。
何れの企画もクラス全員の参加が前提であり、文集の発行時期になると、全員に返信用封筒、更に「原稿用紙」まで同封し、文集作成参加を呼び掛けましたが、初版発行の折、参加者は4割程度で、6割は何の返答もなく、4割の参加者で6割の無駄となる費用を負担する会計勘定となり、なにか虚しさと不公平さを感じました・・・

 そこで、今後の文集作成の課題である不公平さの解消策として、6割を占める不参加者に無償で文集を配布するとなると、その6割分の費用は誰が負担するのか等の意見を協議しました。
 結論として、Ⅰ.文集作成はあくまでも任意の呼びかけで、参加・不参加は本人の意思に任すこと。Ⅱ.文集作成の募集通知、印刷・製本代、出来あがった文集の郵送までに要した総費用は、文集作成参加者で全額負担すること。Ⅲ.Ⅱの総費用は、文集作成参加者の頭数で割ること。Ⅳ.出来上がった文集はあくまで有志で作った文集とし、文集作成参加者に配布するにとどめること。と決しました。
 この決定に従い、文集は同級会とは別枠の同級生有志による特別企画として運用し、独立会計の下『行く川・三十而立編』以降の不惑編(40歳)、知天命編(50歳)、耳順編(60歳)の3編を順次発行することが出来ました。

 六十代の中頃に開かれた同級会の宴の半ばに・・・
突然ある君から、幹事長を公然と愚弄し、弄る言動がなされました。
発言者の傍らの輩から、発言者を唆(そそのか)しての「してやったり」とした、しぐさがありありと窺えました・・・
来た
 毎年、『8月第2土曜日 午後6時から。常設会場:松屋そば店』で開いて来た同級会は、住所の分かる全員に開催通知を出しますが、参加するメンバーはどうしても文集「行く川」作成に参加した同級生の集まりと化す傾向となりました。教唆者は過去4回の文集作成には何れも参加せず、参加諾否の回答すら寄せない、言わば「常連不参加者」扱いでした。然し、不参加者6割のうち唯一、同級会には出席します。幹事長として宴会を和やかにするため、宴を俯瞰する立場から見回すに、毎回些か仲間に溶け込めない浮いた様子でした・・・
 唆しの端緒は、過去に何らかのことで、幹事長に遺恨を抱き、それをいつか晴らそうとする意図で出席するのか、同級会の度に妬み嫉みを発言する伏線が過去からありましたので、今年も「又か!」と思つていましたが、今までと違って、卑劣にも第三者にたらし込み、これに同調した発言者の発言内容は、全く誹謗中傷の類いとどまらない、幹事長の人格攻撃に及ぶに、とうとう私も堪忍袋の緒が切れました。

 万年幹事長として、「いつまでも色褪せない仲間たちでいよう」との思いで仕切ってきましたが、この発言は「幹事長不信任」ともとれる発言であることから、旗振りとしての心が折れ、同級会に寄せる篤い思いも一瞬に冷めてしまいました、
「すっわ~ 痴れ者よ なにこいてる  燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の思いでありました・・・
幹事長としてその時点、同級会を即時中止を宣し、同級会を「お開き」としました。

 同級生と言っても、親しき友がきと単なる同級生であった者との溝の深さの違いは、中学を卒業して50余年も経ることを十分認識してましたが、同級会の本質は一律な濃さを同級生に求めて、せめて同級会開催の宴においては、、「いつまでも色褪せない仲間たちでいよう」の合言葉も、この一件で同級会への篤い思いは、私の胸中において木っ端微塵に砕かれました・・・
 「不踰矩編(70歳)」の文集発刊企画に取り掛かろうとした、矢先の出来事でしたが、同級会そのものが崩壊し、文集「不踰矩編」企画も水泡に帰することなりました・・・
 即日、永年に亘って郵便受けに表示していた「常盤中学校7組同級会事務局」の表札を撤去しました。

 この日以後、毎年開いてきた同級会も、すべてを水泡に帰し、旗振りがいなくなった同級会は、糸が切れた凧のように彷徨い、一度も開かれていない・・・

 恩師とは中学卒業後も生涯に亘り書簡を取り交す機会を与えられ、時間が許されれば飯山にお訪ねして歓談の機会を頂いてきました。恩師が99歳になられた折に、飯山の名代「本多」で『白寿』の御祝いとして昼食を共にし、「来年は百歳のお祝い」で再び飯山をお訪ねする約束を交わしてお別れしました・・・
恩師に教え子ら有志の手に係る文集「不踰矩編(70歳)」をお渡しすることが叶わず・・・
恩師が百歳を迎えることなく黄泉に旅立たれてしまわれたことが・・・
只々、悔やまれてなりません。

恩師と今は亡き五名の同級生のご冥福をお祈り申し上げます。
早世された何れの君も、私にとって、親しく、楽しい思い出多き、大切な友がきでありました・・・
屹度、あの世で恩師を囲んで 和やかに同級会を開いていると思います。
                                       合掌



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