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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 前市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
栄華の夢幻の如くなり
濃霧は川中島の合戦を彷彿せる

所用ありて千曲川を渡るに、余りにも濃霧で先が見えず、信玄公と謙信公の川中島の戦も、このような濃霧の中での死闘であったかの思いを、遥か八幡原に募らせる

頼山陽が詠じた・・・

鞭声粛粛夜過河
暁見千兵擁大牙
遺恨十年磨一剣
流星光底逸長蛇

信濃国は南北に長く面積も広いが、取り分け北信濃に生まれ育った者には、この漢詩は千曲川河畔が濃霧に包まれた時には、「川中島の戦い」を彷彿させ、古の両雄を偲ぶことにつながる。

甲斐の信玄公の奥信濃平定の野望・・・
越後の謙信公の之を許さんとす義の貫き・・・
信濃国は善光寺平八幡原で、両雄の思いが交錯した戦さ場であったことを、濃霧は何故か460年を経た今尚、濃霧が襲うたびに蘇させる・・・

川中島での足掛け十一年余の戦の明け暮れは、信玄公の天下取りの大きな足枷となっってしまったことは事実と言える

我思うに、之戦は天下平定の野望がある信玄公にとっては避けるべき戦ではなかったかと
十一年の歳月は余りにも長く、信玄公にとって無益の戦ではなかったか・・・
両雄は徒に十年余の齢を重ねてしまったといえまいか・・・
両雄の和議の選択は無かったものかと思うと、残念でならない
川中島十一年の戦さに固執せねば、信玄公は天下取りに駒を進められたのではと・・・
凡夫には悔やまれてならない川中島の戦(いくさ)なり

否々語るは愚なり 之即ち之も天命と、天命と・・・
十一年余の戦を両雄が決めたものである以上、凡夫などに問うてはならぬものなのか
たら・・・れば・・・はよそう

甲信越に跨る武士(もののふ)の歴史絵巻は、将に命を懸けた戦であるがゆえに
両雄の川中島は八幡原の攻防は、千曲川の濃霧が発生するたびに、
武士の意地と度胸の心意気として、末代までこの地に住まう人々の心を打ち、語り伝えられるものである・・・

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