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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
【青春の記憶】 山崎厚先生を偲んで
人には夫々の生き方があるんだぞと

  令和2年2月19日夜半、恩師であられた山崎厚先生がご逝去された一報が告げられました。享年99歳の天寿を全うされたと言え口惜しい。昨年10月に先生の「白寿の祝い」を企画したが、台風第19号が東信から北信地方を襲い、須坂市も甚大な被害が発生し、先生のお住まいである飯山市も同様に浸水が発生、祝いをする会場も浸水してしまい、更に市議会議員として台風第19号の復旧に勤しまねばならないこともあり、「白寿の祝い」は延期とせざるを得なかった。
 
  「白寿の祝い」の呼びかけに、賛同するも当日は欠席の同級生から寄せられた「先生に花束の足しに」と預けられたお金の処理もあり、私と小池君(同級会会計)は暮れの27日、飯山市に出向き、先生と飯山の名代「本多のうなぎ」で昼食をとりながら、歓談をすることが叶いました。まさかこれが先生との今生の最後の歓談とは些かも思わず、来年こそ「百歳満願成就」のお祝いをすることを約して別れたばかりでした・・・

  思えば、昭和35年春に私は市立常盤中学校に進級しました。当時の常盤中学校は、須坂小学校と小山小学校の生徒の二校の学童が合流する中学校でした。私の小学校卒業時の同級生5人は何れも男子であり、更に小学校低学年で同級生であった3人も加わり8人の幼馴染が亦机を並べることとなりました。

  このクラスを担任される山崎厚先生は、常盤中学校に新たに赴任して来られたことを初めて、先生の自己紹介から知り、更に数学と美術の先生であられることも分かりました。先生の自己紹介の後に、生徒が順次起立して名乗りをあげました。決まり切ったワンパターンの自己紹介でしたが、これが3年間の中学校生活の事始めであったと記憶しております。

  白根登山、燕岳登山、東京への修学旅行、菅平へのキャンプ等の思い出話は積もる程ありますが、又の機会に譲るとして、茲では先生の人となりを記したいと思います。

  先生は、温厚な方であられましたが、「筋を通すこと」を大変重んじられました。更に姑息なことは男子として決して行ってはならないと厳しく戒められましたが、あとは細かなことに余り頓着されませんでした。

  中学3年生の3学期のある日、私は職員室に呼び出されました。先生はいきなり「長男としての心得」について語られ、「なぜ、長男としての心得が必要なのか。長男として生まれた以上、これを生涯に亘って心底に留め置いて生きなければ、どんなに寿三郎が将来偉くなっても、決して偉いとは言えないんだぞ。」と・・・

  父親を亡くして7人の兄弟姉妹の母子家庭で育った私に、「甚だ不憫と思うが・・・人は生まれながらに背負う宿命がある。これは親父さんを早くに亡くしてしまったことが宿命と言える・・・然しこの世に生を受けた以上、人には天賦というものもある。この天賦は自分が探し出すものなんだが、これが天賦と思ったら回り道をしてでも諦めずに励んで掴み取るんだ。人には夫々の生き方があるんだぞ。自分に合った生き方があるんだ。分かるな・・・」と懇々と諭して下さいました。当時15歳の私は先生が言われる内容を全て理解することはできませんでしたが、朧気ながらに「父が居ない分、長男は生きて行くうえで回り道が強いられるんだな。」と位に思いませんでした。然し、この諫言こそがその後の私の生き方を大きく変える端緒を開くことゝなりました。

  あの日から57年・・・
  私も古希を越えるも、少年時代に諭された「長男としての心得」を肝に銘じて生きて来た心算です。ときには挫けそうになり、諦めかけたりしましたが、「決して回り道を厭うな。」の先生の諫言を道標に日々を過ごしたことが、曲りなり今あると感謝をしております。 恩師とは有り難いものです。 
 万感の感謝を込めて、先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。



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