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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 前市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
暗中模索
戦争の爪痕

松代大本営地下壕に入ると冷っとした空気が体を包む。洞穴は側面をコンクリートで塗り固められたトンネルと違って、どんなに岩肌が整形されていても、どうも心が穏やかになれない。

須坂市にある鎌田山の洞穴も、掘削規模(総掘削延面積)こそ、ここ松代とは比較にならないが、穴の規格は同じであると言える。この松代大本営地下壕と同じ時期に国策事業で掘られたものであった。戦後は放置されていたこともあって、誰もが自由に洞穴に入れた。必然、地域の少年たちの格好の探険する場となった。しかし荒削りの洞穴は奥行きが深くて不気味で、カビ臭くて、真っ暗で、当時の懐中電池では光が闇に吸いこまれるようで全く用が足りず、少年には恐怖心の募る洞穴探険でもあった・・・

松代大本営地下壕が造営された経緯は、ホームページ等で情報を収集されるがよかろう。

私は、この地下壕に踏み入れる度に感じことは、歴史的にみてその時々の幕府や政府が瓦解するときの「あがき」の遺物が必ず生ずるものであるが、この地下壕もその遺物として後世に曝されているように思えてならない。この地下壕に入り通路を歩く度に、たとえ碁盤の目のように掘り進められた地下壕であっても、所詮は地下壕であって、とても人間が日常生活できる空間ではない。当時の政府首脳は本当に地下都市を形成し、捲土重来できると思っていたのだろうか。

この地下壕を訪れる人々の多くは歴史認識が乏しい。恰もこの洞窟は、自然が創った鍾乳洞と同じ位の感覚で訪ねているようだ。松代大本営地下壕を、赤子を抱いてGWの序でに立ち寄る観光地ではなく、戦争の爪痕として捉える貴重な戒めの場であって欲しい。戦争を再びしてはならないと感じるのは私だけではあるまい。


松代大本営地下壕


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