プロフィール
Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ
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千曲のかなた: 前市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。 「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
郷里の自慢が消え去る日に
長野電鉄屋代線(河東線)時代の潮流に勝てず
須坂駅と屋代駅(かっては信越線(現しなの鉄道)との接続駅)間を繋いだ屋代線(河東線)が3月31日を持って廃線される。
河東線が屋代線と名称が変わっても、レールの上を走る電車の車種が、幼い時の焦げ茶色の鋲だらけの箱型電車から、写真のように東京の日比谷線の地下鉄を走っていた車両に変わっても、私の記憶に残るこの鉄路は父との思い出の鉄路に外ならない。このアルミ電車は東京で生活していた時代には、殆ど毎日お世話になった電車でもあるが、我が故郷で再会できたのも何かの因縁であったのかもしれない。
高校時代、同級生の多くはこの電車を利用して通学した。だから長野電鉄がストで運休すると、先生も生徒も登校できない事業もあって、市内に4つある高校は何れも休校となったものである。
須坂市の人で、骨折をすると多くの患者は岩野におられた「骨接ぎの名医」にかかるために、一日仕事でこの河東線に乗って通院したものである。時間がまだ余りせわしなく無かった時代の話ではあるが、河東線自身も長閑な田園電車であった。
風向きによっては、屋代線の踏切の警報音が我が家まで聞こえたが、明日からは踏切の警報音も二度とならない。ピカピカに光っていた二本のレールも、つかの間に光沢を失い錆がつくであろう。レールのつなぎ目で車輪が鳴らす「カタカタ」音も聞けないと思うと心が痛む。安直に電車を廃線させバスに代替を求めた選択が、簡単に時代の潮流であったと片づけて良いものであろうかとの煩悶を拭いさることが出来ないでいる。
遂、百数十年前までは人は歩くしかなかった。幕府の戦略的意向から大きな川には橋はなく、西部劇に出てくるような馬車は日本では発達しえなかった。それでも藩内は大八車が馬や牛に牽かれていたであろうと推測する。時経て昭和は30年代になると自動車の普及でトラックになり馬方は失業した。電車や乗合バスも1000ドルカーの売り出し文句「パブリカ」が大衆車として世に出回った。マイカー時代の到来であった。これに合わせるように社会インフラが全国津々浦々まで整備されて、渡し舟は橋が出来ることによって渡し業は廃業となり船頭は失業した。木橋は永久橋に造り変えられ、陸の王の名を欲しいままにしたダントツの運輸業であった鉄道も、マイカーの普及により徐々に客足が奪われ、やがては廃線に追い込まれるプロセスを踏む。宿命といえばそれで片付くものかもしれないが、廃線というこの選択が果たして良かったかのどうかは後世の評価に任せよう・・・
運輸業とりわけ鉄道業は線路の敷設と高速輸送を叶えるための安全施設、更には車両にと莫大な資本が必要な業種である。しかしとどのつまりお客が乗ってくれなければ必然事業は成り立たない。採算の合わない路線は廃線となることは理解しうるが、鉄道業の最大の難点は、駅にしか車両は停まらないことである。開業以来河東線の駅も綿内駅と川田駅間に「若穂(わかほ)」の一駅が高校時代に新設されたと記憶するが、利用者は家からはるばる駅まで歩く手間がタイムロスであり、鉄道を利用すると半日仕事や一日仕事となってしまい、この利用者の利便性を無視した地方鉄道の驕りが、沿線の人々の鉄道離れに拍車をかけたのではなかろうか。毎日利用する通勤・通学客は電車の時刻表に合わせた生活であるので何の苦にもならないが、日中に鉄道を利用する人々にとっては聊かニュアンスが異なった。
私が学生時代に利用したのは地下鉄と都電(路面電車)であった。路面電車の停留場間の短さは将に庶民の足を考えた利用者への最大のサービスであった。地方鉄道の生き残り策は都電に学ぶべきであり、駅間の短さとプラットホーム無しでも乗降できる低床車両の導入でしかない。専用軌道を走る地方鉄道ならばその選択も可能ではなかったか。屋代線存続のためにこの体験を私は様々な場で、様々な人に提唱したが、鉄道会社は聞く耳を持てなかった。
郷里が誇る鉄路の文化が今日を境に「屋代線が走っていた」とする文明に化石化することが辛い。地図から屋代、松代、須坂駅まで明記されていた線路の記号 +++++++ が消え去る。そして・・・長い歳月の後に「屋代線」が大正、昭和、平成の90年間も沿線住民の足となり走り続けた事実すら、人々は屹度忘れさるのであろう・・・
綿内駅に到着した屋代発須坂行電車
随筆 父との思い出・雪の綿内駅
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[2012/03/31 01:00]
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