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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 前市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
あゝ新宿駅
  あゝ新宿駅

 
 東京に出たての頃の話である・・・
 武蔵小金井に住んでいたことがある。毎朝国電で新宿駅に出たが、ラッシュは田舎で過ごした19年間は経験が全くなく、ぎゅうぎゅう詰めの電車にはホドホド参ったものである。

 新宿駅のプラットホームに車内から吐き出されるように降りる。都会の朝は兎にも角にも忙しい。そんな駅の構内で閑散としているプラットホームがあった。雑踏と喧騒のなかで何とした景色かと思いながらも、遅刻は許されないので忙しく二幸前のバス停に急ぐ毎日であった。

 休日に新宿に出たので、私は閑散としていたプラットホームに登ってみた。甲府・松本方面の表示があった。
「あぁ新宿は中央東線の始発駅で、これがその専用ホームなのか」と合点がいった。ホームのベンチに座っていると遠く信州の松本の空気を乗せて山吹色と深緑の車体の急行「アルプス」が入線して来た。乗客が我先に降りて来たので、私は郷里の顔見知りの人はいないか真剣に顔から顔を追ったが、知っている人は誰も居なかった・・・

 「急行・アルプス」は、間もなく折り返し運転で信濃路を目指して発車して行った。松本から更に郷里長野に通じる線路かと思うと中央線は親しみが持てたものである。

昭和52年に発売された「狩人のあずさ2号」は、都会人とりわけ信濃路に来たことのない人々に、「行ってみたい憧れの地」の印象を強烈に与えた。思えば34年も前の思い出の歌である。


【8年前の千曲のかなたから抜粋】

 2003/10/13 (月) こころの小箱を壊さないでほしい

 誰にも、歌手が好きで、或はメロデーが好きで、歌詞が好きで、何べんも何百回も何十年も歌う曲が必ず一つや二つあると思います。

 私にも青春のやるせなさを歌った曲が偶々テレビで流れた。小さいころから暗譜するほど歌った歌でした。
 ところが、この歌を某歌手が歌いましたが、自己流の歌い方で、私の心の小箱に大切に秘めておいた何かが瓦解しました。「うそ歌」とした言えそうにありません。




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冷えに冷えたり 信州信濃の朝は
  冷えに冷えたり 信州信濃のの朝は

百舌鳥(もず)の初鳴きが観測されたと二日ばか前のラジオで解説されていた。更に百舌鳥の初鳴き75日ということわざが西日本にはあるとか・・・
これは、百舌鳥が鳴きはじめて75日後あたりに霜が降りる歳時記を示しているとか。冬が真近いぞと昔の人が戒めた言葉であろう・・・

昨日(10月2日)の朝の信州は初冬を思わせる冷え込みであった。私は百舌鳥の初鳴きの故事はこの信州に該当するのであろうかと思う程の冷え込みである。この冷え込みはコウロギをはじめととする秋の虫たちの鳴き声を閉ざすことにつながる。将にイソップ物語の「ありとキリギリス」に外ならない。昨夜鳴いていたコウロギも早朝の今耳を澄ましても、はもはや一匹も鳴いていない。昨夜来の冷え込みは秋の情緒を一変させ、信州の夜長は静寂そのものの世界に一変した。子孫に託して朽ち果ててしまったのか。只々もののあわれを感じる・・・

私の体も冷えて来た。布団にもぐり暖をとろうかと・・・



【過去の日記から】

 2004/10/01 (金) 手枕にて御座候

 今日は久々の快晴であり、根子岳を始め四方の山並の稜線がくっきりと見えます。
善光寺平を例えるならば、巨大な南北が割れた楕円鍋であり、長野市や須坂市はその鍋底に位置します。鍋の縁が割れているところが千曲川の流れ込み口と出口と思われるがよろしい。鍋の縁を山に見立てて、西に北アルプス連峰は飛騨、越中との国境、信濃五岳、東に下高井野、上高井野の山々、そして四阿山、根子岳に代表される上越国境と接する峰々ですが、これらの稜線は高く猛々しく映ります。

 先月、21年振りに噴火をした浅間山も今日は火口を現し、もくもくと煙を吐いている姿が、多分夕方のTVニュースで映し出されるでしょう。こんな日の浅間山は信濃の国の歌に歌われている国の鎮めなる浅間山であります。

 信州は、一雨ごとに寒くなり、晴れわたった満点の星座を繰り広げる毎に地面は冷え込み、冬将軍到来の道筋をつけます。

 或いは霜の便りも今月には聞けてくるかも知れません。紅葉が1ヶ月程遅れる情報もありますが、寧ろ夏と冬の寒暖の差が、更に拡がるものと思われます。

 9月定例議会も終わり、茲十日ばかりはゆったりとした時が過ごせます。こんな時は、歴史書を読んでは横になり、起きては亦その続きを読む生活です。私にとって最高の贅沢のひと時です。

  
  信濃の国の歌を聞きたいと思っている、郷里を離れている皆さんに

 SBC(信越放送)のホームページ右欄【まるごと信州】の中に「県歌・信濃の国」のコーナーがあります。信濃の国が聞けます。望郷の念軽からず!
      
邂逅と別離


             邂逅と別離 


 私は久しぶりにある人を訪ねた・・・

 この須坂に居ながらにして・・・
 かれこれ二十五年ぶりであろうか。夫婦は老いていたが健在であられた。
 久々の再会にも拘らず老夫婦は快く迎えてくれ、互いに再会を喜び暫し談笑を交わした・・・

  話題は三十数年前の、私が東京より郷里に戻った当時の話になった・・・
  志しを達せず、郷里に戻った日々は悶々とする毎日でしかなかった。腰に差す太刀が大きすぎで、
 果たしてこの太刀が田舎で使い回せるか不安な毎日であった。

 当時のことが、次から次へと思い出されて話は弾んだ。私は夫婦の子息の健在なるかを問うた・・・

 母親は「三年前に死んでしまった」とポツリと・・・

 重苦しい空気のなかで、夫婦は息子が「都会で働いていたが、未だ四十代の働き盛りであった」と語ってくれた・・・

 嗚呼、世の中は斯くも非情なものなのか、老いた父母がいるのに、連れ合いがいるのに、幼子がいるのに無慈悲に天に召してしまう・・・

 老夫婦は「仕方ないさ」と・・・

 この言葉は、息子を思い出すたびに、涙を堪えしのび、息子との思いの縁(よすが)のあれこれを思い出してはあきらめ、思い出しては心を抑えてきたことであろう。日々の悲しみを乗り越えて、漸く心穏やかになられた夫婦がそこにいた・・・

 私は暫し亡くなられたご子息を瞑目した。

 

 
大福餅と餡子ろ餅
               
大福餅と小豆の餡子(あんこ)ろ餅


 私は幼い時から大福餅が好物である。近所に大福餅の名店が在ったからかも知れない。その店の大福餅は、餅と小豆の餡子バランスは餅が7分で餡子が3分と言った塩梅であっただろうか。柔らかい餅と甘さを抑えた餡子が絶妙であり、小腹がへったときは大福餅が一番だった・・・
 
 近頃、スーパーで見かけるものは、大豆の餡子ろ餅であって、須坂の名物と謳われた大福餅とはほど遠い。薄皮に拳大の餡子がくるまれている。蜜豆の上に丸くもられた小豆を、薄皮餅で包んだものではないか。食べているうちに餡子で口たるくなる・・・

 大福餅と餡子餅の違いは、これは地域が育んだ食の文化に外ならないものであり、嗜好の範疇でありとやかく批評をすべきものではないが、食の文化は幼い時に口にしたかどうか、言うなれば大福餅に遭遇したか、餡子ろ餅に遭遇したかが多分に左右するものでしかない・・・

 一概に食文化云々として片づけられない食格である・・・



凡夫の贅沢
asagao ryouran


 
 今日はお盆の中日であるが、夜半に今年初めてのコウロギが鳴き始めた・・・
日中は熱中症が警鐘される気温の上昇であるが、夕方になると連日の雷雨が地面を冷やし、地熱を奪うのであろうか、秋の虫の出番となった・・・

 飼育されている「鈴虫」も大分形を整えつつあり、鳴き初めも間もないだろう・・・

 年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからずではないけれども、新盆を迎えたご家族には、深甚なる哀悼の誠を捧げたい。

 今年もコウロギの初鳴き、鈴虫の初鳴きを聴けることを天に感謝したい。

 これぞ凡夫の贅沢と言えるだろう・・・