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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 前市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
知ったかぶり議員になる莫れ
知ったかぶり議員になる莫れ

 「知ったかぶり」とは、、辞書を引くと、「知らないことを、さも知っているかのような様子をすることや、そのようなそぶりをする人。」とある・・・。

 かれこれ25年も前になってしまたが、議員になって初めての「定例会」が招集され委員会に臨んだ折の感想は・・・。
議案説明等が市職より、「行政用語」をやたら引用した新人議員に威圧的とも思える説明を受けた・・・。
遡ること更に30年も前の学生時代・・・。法学部の「行政法」は当然必修科目であったが、目指す国家試験科目で私は破産法を選んでいたので、「行政法」は単位を取得するための認識であったこともあり、地方自治体の行政科目については不知の部分もあり、市職からの議案説明については、正直言って聊か面食らった。
 されど、議員として「知らない・知らなかった」では済まされないと意を決して、自治体予算のしくみや地方税のしくみ、地方自治制度の知識を得るために、議案に出て来る「行政用語(法律用語)」のうち、意味が不明のものは、かたっぱしから関係する書物を紐解き、議案が配布されると先ず行政用語の解読を行い、その後に資料の読み込みをした。
 手元に「新法律学辞典」(有斐閣)、「法律学の基礎知識」(有斐閣)、「法学教室」(有斐閣)、「行政法」(LEC東京リーガルマインド編書)、「行政判例百選Ⅰ.Ⅱ(有斐閣)、「地方議会運営辞典」(ぎょうせい)等を置いて、解らぬものは兎に角ページを捲った・・・。

 議員になって委員会初日、私は質問で恥をかいても「知らない こと」は恥と思わず、素直に担当職員に「教えを乞う」思いと質問んを愧じない勇気を持ち、議員としての資質を磨く場であると己に言い聞かせて委員会に臨んだ。予習の効果もあり初陣としてはまずまずの理解と大筋把握の成果を収めた。
 新人議員の質疑の後、先輩議員取り分け3期以上の議員の発言に注目した。3回以上も選挙という篩(ふるい)にかけられ、市民の篤い信任を得て当選されてきた議員の見識を、今後の議員活動のために大いに参考にしたいと考えたからである・・・。

 愈々、注目すべき先輩議員が徐(おもむろ)に質問された・・・。
ところが、ところがであった。「この議員は法律を基礎から学んだことがない。」ことは直ぐ判った。しかも発言は、「法的に」と唱えながら議案を質(ただ)そうと要領を得ない多弁に驚ろいた。これが委員会審査だとすれば、あまりにも質問が低次元でご粗末過ぎると感じた。市職員も法律論とは言えない的外れの質問であるが、大勢の前で質問者に恥をかかせない気配りか、如何に答弁するかを考えている様子がありありと窺えた。
 当の議員は、職員の答弁の躊躇を、「どうだ俺の質問は高度で的を射た質問だから、職員も応答に困っているだろう。質問はこのようにするものだぞ。」と、言わんばかりのドヤ顔で新人議員を睥睨し、答弁を待っている様は寧ろ私には哀れで滑稽に映った・・・。
 注目した先輩議員の、質問内容や職員の答弁に対する再質問が余りにも稚拙で、これが3回以上も当選している議員のレベルかと正直がっかりしたものだ

 一般質問と違って委員会での発言は、議員の質疑のレベル、即ち議員自身の地力と言える培ってきた専門性、知力や先見性等の総合判断力が諸に、その場に居合わせる議員、市職員、傍聴人等全ての人たちに曝(さら)け出すこととなるを知った。こと委員会では「知ったかぶり」発言は一切通用しない場であることの怖さを併せて知った・・・。

 思うに、2期3期と期を重ねると、議員としての初志が色褪せる議員がいるが、そのような議員と親しくなる必要は更々ない。何のために議員になったのかの初志を忘却してはならない。一票を投じてくれた支持者は、支援する議員が一般質問で問う内容の適格性や、市長等に問う質問の確かな事柄の裏付け調査や、資料の読み込みがなされての発言なのか否かを、物言わぬが静かに、しかも厳しく採点されていることを、肝に銘じて議員活動を全うすべきである。

 議会改革の一端として、委員会における「知ったかぶり議員」の発言排除をするには、それには議会の透明性を図ることの必要性を感じ、委員会での議員の発言と委員会審議の成り行きをガラス張りにして、議員自身の地力・培ってきた専門性、知力や先見性等の総合判断力に基づく発言を、ありのまま市民に伝えるべきだとする思いから、当時の議長、議会運営委員会において「委員会中継」をしました、更に須高ケーブルテレビもに委員会中継をされたい要望もいたしました・・・。
 議会はこれを受け、先進市に行政視察を行い検討を重ねましたが、委員会中継で生ずる「失言の取消し」等が、当時としてはこの課題に対し明確に対処する法並びに規則等の整備も整っていないことから、委員会中継は実現されなかった経緯があることも忘れないで欲しい。

 議員の真の実力は一般質問ではなく、議案審査を行う各委員会における発言こそが、議員の真の洞察力等の実力が示される場であると経験上感じた。市職員は口には出さないか、議員の評価付けは委員会での発言内容であり、前述のとおり「知ったかぶり議員」の質問は、大方審査の要点を撞いていない愚問若しくは蛇足であって、少しも怖くない質問であると・・・。
 どうか新人議員は議員活動に『ズク』を惜しむな 知ったかぶり議員に決してならないで欲しい



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遅くはない七十の手習い
ギター爪弾くを解禁するも

ギターとの出会いは中学生の時であった・・・
ギターが欲しくて欲しくて新聞配達をしてやっと手に入れた。当時のギターの弦はスチール弦であって硬く、弦を抑えると指先に弦が食い込んで凹んでしまい痛かったが、それでも我慢し中学、高校更に上京するまで自己流で弦を弾いては満足していた・・・

ギターは生家に残して上京した・・・
然し、ギターを爪弾かないと物足りなく、大学2年のときに御茶ノ水の楽器店でギターを買い求めて、日々爪弾く生活が戻ったが、3年生から専門課程に進み、より学業に専念するため大好きなギターに触ることを「封印」した・・・
 とは言え、 事実はギターを爪弾く時間を極力少なくするに努めたが、例え5分でもギターに触れない日はなかった。

郷里に帰って所帯を持つと生計が忙しくて、ギターを爪弾く時間はなくなっていった・・・
先頃、議員生活を引退したので、不要になった物品等の整理をしていたら、押入れの中からギターを見つけ出した・・・
「おっ お前こんなところに居たのか」と、再会が叶い且つ嬉しかった・・・
最早「封印」しておくことはないので、ギターを押入れから出し、陰干しして通気を与え、乾いた布巾で磨き弦を張り直した。ギターとは40余年振りの再会だったけれども、ギターを毎日欠かさず抱えて爪弾いていた代物であったこともあり、愛用のギターは直ぐに手に馴染んでくれた・・・

ところで、かって弦のチューニングは笛を吹き耳で調律していたが、今は太棹の先にセットした「チューナー」が、弦の振動を感知して画面に弦の張り具合の強弱を示してくれるので、この振れ具合を確かめ乍ら弦6本を順に弾き、眼で確かめながら糸巻きを調整すれば、簡単に調律できる便利な器具があることを、YouTubeで知り、早速入手し試してみたが、なるほど頗る便利で調律時間が短くて済む。

少年時代はコード(和音)を覚えることもなく、只管メロディーを爪弾くだけのものであったが、今やYouTubeの「ギター初心者向け動画」を利用してギター奏法の理に適ったコード奏法を学び直すこととしている。「遅くはない七十の手習い」時代である。

少年・青年時代に古賀政男の「影を慕いて」「あの夢この歌」や船村徹の「別れの一本杉」のメロディーに心打たれ、今は弦哲也メロディーにぞっこんである。
今更どんなに指使いを修得し励んでも、憧れたギターリストになれっこないだろうが、生業の行政書士の執務をとりながら、時にギターを爪弾き、時に書を読み、時に墨筆を走らせる日々を過ごしたい。更に願わくば、運動不足を解消するために、犬の如く日課として町内を下駄ばきで散歩することを心掛けてはいるが、出不精の質は中々治らないでいる・・・

 思えば、青春時代に大志を成就するために自ら幾つかを「封印」したが、今これらを解くとあれもこれもとやることが多くて、お陰で気だけは若くいられる。 今日も我は青春の真っ只中で、夢の途中なのだ



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小さな虫ながら季節を告げる賦命を知っている
聴きなれた調べと音程

高校時代の担任であられた宮下平先生は、大変山好きであられ夏休みになると、登山に我々を連れて行って戴いたが、「盆過ぎの山岳は、夏山気分で登るな。寒さが違うから!」と、山岳気象に拘(こだわ)りがあられた先生でした・・・
今朝(8月17日)の冷え込みで眼を覚ましたおりに、俄かの冷え込みで亡き恩師の言葉を思い出しました。
元々寒暖の激しい信州ですが、日々における早朝の寒暖の差を、お盆の後先でひしひしと違うを感じます。

今年の我が家の庭に住まう秋の虫の初鳴きは8月6日でした。羽根の調律の関係で初鳴きは聴くに堪えませんが、一日経つと羽根が硬くなったのでしょうか、調律も終わり聴きなれた「リィ~リィ~」の音程で奏でます。
秋の虫の夜通しの演奏会に心を癒やされ、子守歌の如く我に眠りを誘います。

只、心配なのは、我が家の庭には、滅多に目撃をしませんが、カネチョロや蛇が生息しています。それらの餌食にならないことを念じております・・・


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在留外国人に「交通ルール」の講習を受講させるべしi
在留外国人に「交通ルール」の講習を受講させるべし

先日、自宅から須坂駅に向かって走行していら、自転車に乗った在留外国人らしき男女二人が、私の車と並走することとなった。センターラインのない市道であったこともあり、万一の危険を感じた私は、しかもこの先の交差点は一時停止であるので、スピードを落として並走を回避した。これを良いことに、この男女は猛スピードで走行し、しかも「一時停止」の標識も無視して交差点に入り、自殺行為をしながら左折して行った。この行為に私は唖然と言うより恐怖を覚えた・・・。
幸いにも、直進の車がなかったから事故は防げたが、これは偶々車が来なかっただけのことである。自転車を乗り回していた若い外国人は、交通事故の怖さを本当に認識しているのであろうか・・・。

昨今、無謀な自転車走行を起因とする事故により、死亡事故も起きている。歩行者や交通ルールを守っている自動車運転者が、無謀者の巻き添えを食って、被害を被ってからでは遅いのではないか。在留外国人には「自転車保険に強制加入」させる手立ても必要と感じる。市内を移動するに外国人にとって、自転車は極めて便利な「足」といえるが、ルールを無視或いは不知では話にならない。
「一時停止」の標識のある交差点での停止を怠れば、交通事故に陥る蓋然性は極めて高いことは小学生でも知っている。
在留外国人に対する、自転車走行の際の交通ルールを厳守させるべく、行政機関は周知させる必要性を感じる。
それには、在留外国人が自転車を購入する前に、或いは購入する折に、日本における「交通ルール」の講習の受講義務を課して、「自転車走行許可をする」ことが必要ではないかと感じた
在留外国人と思しき乙女らが、結構列をなして歩道を走行するのを見かけるが、その度に感じてならない。

閑話休題
議員であったとき、法と道徳を混同した議員がいた。「道徳には強制力がない」ことを少しも理解されていないようであった。混同した法理で徒に法律論を繰り返すため、議論自体が一向にかみ合わない経験をしたことがあった・・・。
学生時代に専攻した学問が違うと、こうもものの捉え方が違うものなのかと、一面困惑した・・・
学部に沿っての専門性を切磋琢磨した成果の、ものの捉え方である理解が必要なのかも知れないが・・・
然し、市議会議員である以上、せめて「法学概論」位の素養を備えたうえで発言をされれば、発言内容も全く違うものになるものをと思うとき、実に惜しいと感じた・・・。
議場での議案の是非の議論は、「法(条例)設置の目的、法的裏付け」に基づく思考を始点として、法的思考で議論の積み重ねたうえで争点をしぼり「この議案は市民のためになるものか否か」の、結論を下すべきものをと、いつも苦々しく感じたことを思い出す。



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故郷の山に向かいて
故郷の山の偉大さ

農免道路が未だ無かった昭和39年頃、興国寺の講堂に寝泊まりしていた頃の話である・・・
興国寺から自転車で横道を抜け、臥竜町通りを左に下ると、通りの真正面に越後の妙高山がくきりと見えた。自転車に乗って妙高山とにらめっこしながら坂道を下る・・・。
私はこの通りを「妙高通り」と名付けて、朝の空気を胸いっぱい吸って道を下ったものだった。
臥竜町通りも北原町では左に曲がり込む。これから先は通称「金井原通り」となるが、正面に見える山が、妙高山の左隣に鎮座する黒姫山ではなく、何と一つとんだ飯綱山に変わる。私はこの通りを「飯綱通り」と名付けて、やはりにらめっこしながら自転車に乗って自宅までの朝の日課であった・・・。

あれか遠い歳月が流れた・・・。
先日、自動車で用を足して、臥竜町通りを下ることがあって、ふと正面を見ると忘れていた「妙高山」が真正面に見えた。更に下って左にカーブを切ると、あったあった昔ながらのどっしりと鎮座したあの「飯綱山」がそこにあった・・・。

当時とは、須坂も町並みは大きく変わり、交差点には信号機が付き、当時のように悠長に山とにらめっこしながらの運転は許されないが、そこには少しも変っていない故郷の北信五岳があった。
故郷の山は偉大であり、故郷の山並みはありがたきかな、仰ぐ人々のこころをいつの世も慰めてくれる悠久のものと感じる。




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