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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 前市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
政治家は囲碁(手談)を嗜むべし
 
手 談

忙中閑有りではないが、私は閑を見つけては囲碁を楽しむ。
川柳にも「碁仇は憎さも憎し懐かしさ」とあるように、私には帰郷以来三十余年にのぼる碁仇がいる。一時は多忙極まりない議員生活に入って囲碁から遠ざかっていた時期もあったが齢(よわい)還暦を越えて「滄浪之水清兮 可以濯吾纓 滄浪之水濁兮 可以濯吾足」の心境に達し忙中閑有りを楽しむようになった。

囲碁を覚えたのは大学生のときであった。幼少の頃の記憶として、父と和尚さんが囲碁を楽しんでいた。父が早死にしなければ、或いは私は小学生の頃から碁を覚えたと思うが、父が急死してから我が家の碁盤は、埃をかぶってしまった・・・

上京してから、同郷の同級生が私に碁を教えてくれたが、二人は碁にとりつかれ土曜日は徹夜して碁を打ったものである。二つ折の碁盤は彼の部屋にも、私の部屋にも備えて、どちらの下宿やパートに訪ねても碁は打てた。

碁が強くなりたい一心で書物を漁った。ある本に曰く!

碁に強くなる一ケ条は、「お前の腕ではもったいない」と言われる碁盤と碁石を調えることである。とあった・・・
私は、「これだ!」と決めて、財布を叩いて脚のある三寸碁盤と碁石を求めた。求めた碁盤を空布巾で毎日磨き、枕元に碁石を置き、眠る前に碁石を握り、目が覚めると布団から手を伸ばして碁石を握り冷ややかな感触を確かめたものである。

碁に強くなる二ケ条は、碁盤に碁石を「パッチ」音を立てて置けることである。とあった・・・
なるほどと得心した私は、人差し指と中指に碁石を挟んで碁石を碁盤上の特定点に置こうと訓練した。はじめの内は碁石を持ち堪えることが出来ずポロリと落ちたり、振りおろす途中で石が盤外に飛んでしまったり、音を立てるなどほど遠いものであったが、「パッチ」「パッチ」と黒白交互に何百回、何千回と訓練した甲斐があって、今では実力以上に「石音」だけは自信がある。気合を入れて打つと「鹿威し」のような音がするまでになった。

碁に強くなる三ケ条は、プロ棋士の棋譜を百手まで10分以内に並べること。とあった・・・
閑を見ては、囲碁クラブや週刊碁に掲載された棋譜を片っ端から並べたものである。一日1局10分を心掛けた。最初は次の手順を捜すに時間を要したものであるが、これも慣れて来るとさほど難しい作業でなくなったが、プロ棋士の深い読みはとてもとても理解できないが、上達法に書いてあるとおりに、私は只管碁石を並べることに専念した。プロの感覚を養うためにはこの方法が一番なのであろうかと。

三つの上達心得を忠実に守った心算だが、碁はなかな上達しない。これは囲碁が奥深いものである証拠であろう。定石を覚え、本に書いてある通りに石をおいても、素人同志の碁は相手がそもそも定石通りに打たない。寧ろ定石にこだわると囲碁の内容はさて置いて勝負としては負けが込む。
そこで気が付いたのは「詰碁」であった。詰碁は定石とは違う石の生き死に外ならない。中盤から終盤のヨセの課程で威力を発揮する。「詰碁」は居合斬りの如く切れ味鋭く相手をねじ伏せ、降参させうる醍醐味は亦格別な快感である。

盤上に政策の課題を想定して、白黒の石を並べる時がある。古の武将が、近世の為政者が、現代の政治家が囲碁即ち手談を嗜むことは、様々な局面の打開策を思考する手立てとして囲碁が一番優れた手法であることを、経験を通じて知ったから生涯囲碁を止めないのではないかと感じる。偶然性の勝ちが殆どありえないことが囲碁の魅力なのかも知れない。その魅力を知りえた者が囲碁の虜となるのであろうか。強い弱いに関係なく囲碁は兎にも角にも面白い。

最近残念なことは、私が期を重ねる度に碁の打てる議員が引退され、今期ではとうとう私一人となってしまった。議会には、古きよき時代に「忙中有閑」を解された議員たちが愛用された二つ折りの碁盤と碁石があるが、今は誰も打たないので静かに鎮座している。囲碁に求められる、先を読む力、現状形勢判断、形成判断による攻守の決断。決断の判断の結果は、費用対効果とも言える「振り替わり」と捉え、公用物廃止とも言える「捨て石」等は行政処分とみる。一局の碁は、市の財政運営や政策立案、事業実施、そして事業評価で終局となる。故に、私は「政治家は囲碁(手談)を嗜むべし」と唱える所以は将にここにある。

学生時代に私に碁を教えてくれた朋友は天に召されてしまった。帰省のたびに拙宅を訪ねてくれて二人で碁を打った。碁を打っていると言葉は要らない。「元気でいたかい」「ああ!君はどうだった?」等と、打ち出す碁石が言葉や文字以上にお互いの心根を表現してくれるから、『手談』たる謂れなのであろう。将来、第一線を退いたら彼と囲碁三昧の日々を彼と送りたいと思っていただけに、朋友の死は何ともやるせなくつまらない。人生は侭ならない・・・

最近は閑を見つけては、囲碁chにチャンネルを合わせて、棋力測定委員会や名局解説を観ては囲碁の奥深さに只々感心している。半目でも、一目でも更に強くなろうと思うからであるが、下手なドラマを見るよりも私にとって囲碁番組は数倍楽しい。



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秋の虫の音色に魅せられて
秋の虫の音色に魅せられて


往く夏の時の流れを止めようと、リ~ンリ~ンと鈴虫は愈々透き通った音色を聞かせてくれる。リリリリとこうろぎは庭のあちこちで、アルトの音色だ。これが枕元で一晩中演奏会だから堪らない。

 キチキチキチ リリリリ キチキチキチ、ピピ~ リ~ンリ~ン、ピピピ~ リーリーとどうも数種類の秋の虫の演奏会だ。

 後十日もすれば、虫の音も一つ消え、二つ消え やがて静寂の庭に戻る。晩夏と初秋の区別は難しい。夏を惜しんで心を慰めておくれ。秋の虫たちよ・・・



虫の良い話
 
虫の良い話し

ひまわり



炎天下の下で、冷えたウーロン茶をゴクゴクと飲み干す。旨い!と思うが・・・
宴会や酒宴で私はアルコールを断り、専らウーロン茶で済ましていたが、最近ノンアルコールビールが認知されるようになった。ビール各社もノンアルコールビールを売り出しているが、アルコール分が含まれていないので、どうもがぶ飲みをする気にはなれない。ビールはジョッキーで1ℓは容易いが、水やウーロン茶はたまたノンアルコールビールの一気飲みは容易ではないことは誰しも知っている・・・

 この差は何なのだろうか?と考えたことがあるが、ビールののど越しのそう快感は1ℓを求めるが、水やウーロン茶やノンアルコールビールではそうはいかないことだろうか。

 ノンアルコールビールも、かっては〇〇ライトとか言った商品名で売りだされた記憶があるが、あの頃の味と今売り出されているノンアルコールビールは、味に格段の差はある・・・


宴会でウーロン茶を飲み過ぎると、帰宅して横になるも中々眠れない。益々頭が冴えてしまう・・・
第一、日本料理はそもそも酒の肴として味付けされ、発展してきた歴史的なことを考えると、ウーロン茶を飲みながら日本料理を食べることは、そもそもナンセンスであり馴染まない行為と言える。

ウーロン茶を飲みながら、刺身を食べたり、酢の物を口にしても、焼き魚や天ぷらを口にしても旨いとは程遠い。
日本酒やワイン、ビールを飲みなが食すことが最大の料理の味の引き出しでもある。

酒席用の日本料理の味を損なわないウーロン茶を、酒造メーカーやビールメーカーは改良品を考案して欲しいものだ。

虫の良い話と言われるかもしれないが、希望者(消費者)は十分にいると思うのだが・・・



うなぎの食べ歩き
うな重




     うなぎの食べ歩き


 未だ若かりし頃の話である・・・

 友人と北信の名だたる鰻屋を食べ歩るいてみようと話が決まった!

 数人で食べ歩いたが、それぞれが自慢の店を紹介することで始まった。

 長野駅前、犀北館脇、善光寺裏の各老舗。 豊野の鰻屋・・・

 中野の中野署付近の鮨屋であるが、鮨よりも鰻で知れた店。

 須坂では北原町川魚店、宗石町の割烹。

 松代は加賀井の鰻店、中町の割烹。

 そして遠く飯山まで食べ歩いた・・・

 どの店も、プロの職人が鰻を吟味してさばいていることもあって甲乙つけ難い。

 詰まる所うなぎは「焼き方とタレ」の勝負かと・・・

 当然・・・味加減はそれぞれ違うが、然し鰻は旨い!

 

 書生時代に、先生のお供で小田原に出かけた折に、某老舗鰻屋で御馳走になった、

 鰻のかば焼きの味が忘れられない。世の中にこんなに旨い食べ物があるのかと・・・



 
山菜に舌づつみ
山菜に舌づつみ

 この時期の信州は山菜の美味で食卓が満たされる。私自身も40代までは友人と山に分け入り、こごみや山ウド、たらのめを採取したものである。当然、自分で採取した山菜の味は格別であった。今はそのような機会がないが、その分山に行かれた人たちが山菜を届けてくれる。誠にありがたいことと感謝している。
 こごみは若葉色が柔らかく、深緑をしたこごみは強(こわ)い。今日届いたこごみは山深く分け入って採ったものと見えて若葉色である・・・
 
 灰汁(あく)のないこごみは、付ける調味料にこだわらない包容力がある。人間に例えるならば八方美人だ。ネギやウド、ニンニクやノビルと違って、辛くも苦くもなく舌に優しく臭いもない。自らの癖のある味を持たない食材と言える。

 さてさて食卓に添えられたこごみを、今日はどの調味料に和(あ)えて食することとしようか。