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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
令和4年9月定例会私の一般質問から(抜粋)
コロナに立ち向かう心意気

○須坂の宝である子どもたちの教育をどう護るか
「人間は、すべからく教育でなせる」と実感する私は、子どもの将来がその生まれ育った環境によって、教育を受ける権利が左右される社会を許してはなりません。コロナ禍の現下の今こそ幼児期から積極的な教育行政の支援が必要であると思います。遠望するに、須坂市は、須坂の人的財産を構築するには、人材育成に財政を注ぐべきと唱えてきましが、この思いは聊かも変わりはありません。

  教職員の過酷な勤務状況の実態と解消策について。
教育長 働き方改革を進めていく必要がある。

  長時間労働に起因する教職員の士気低下は、結果的に教育の質の低下につながると思料するが如何か。
教育長 やりがいをもって意欲的に教科指導に取り組める状態や環境づくりを進めることは、教職員の士気をあげ、教育の質の向上につながると考えます。

○須坂の市民をどう護るか
県内でのコロナ感染での死者が、7月は4人、8月には87人を数えます。報道される症状別では、重症者が減少傾向で、中等症は極稀で・軽症者、症状がない感染者が殆どです。中等症・軽症者・症状がない感染者のうち、高齢者や基礎疾患のある方が、容態の急変により命を落とされる数が増大していると思えてなりません。

  比較的軽症者か症状がない感染者が、死に至る現状増についての所見を。
健康福祉部長 基礎疾患があることが背景にあると考えられます。
そのため、重症化しやすい基礎疾患がある方、高齢の方を守るために・・・
○同居者や身近で接する方に対して、感染リスクが高い場面・場所を避け、最大限慎重な行動をしていただくこと。
○ワクチン接種の積極的な検討を呼び掛けております。

○安定した須坂市の財政運営を叶えるために
ことしの善光寺の御開帳は4月3日から6月29日まで行われ、善光寺事務局によりますと、前回・7年前の707万人のおよそ9割にあたる636万人が参拝したとのことです。

長野経済研究所が調査した、今回の御開帳の経済効果についての発表によると、宿泊や飲食などの経済波及効果は1095億円余りで、前回の御開帳と比べると4%ほど少なくなっているが、実施期間が通常より1か月、長かったことなどから落ち込みが少なかったとあります。
御開帳期間中は幸いに、新型コロナの感染状況が落ち着いていたことなどから、県外からの宿泊者の割合が多くなったとの分析です。

  善光寺御開帳によって、須坂市は宿泊・飲食や農産物を含めた土産等の売り上げにどの位恩恵を受けたのか。
産業振興部長 市観光協会によると、善光寺御開帳後に須坂市を訪れた方は、宿泊施設では特に6月において宿泊者、お土産品の売上が増加したとのこと。
善光寺御開帳奉賛会の委託を受けた長野経済研究所のアンケート調査では、参拝者の周遊先は、「戸隠・鬼無里」、「松本」に次いで「須坂・小布施」地域となっております。

○第1次産業・農業の殖産が須坂を潤す
国の経済の根幹を支える産業は数多ありますが、国民の食糧の保持、即ち生命維持に関わる産業として、第1次産業である農業だと私は常々思っております。将に基幹産業であります。

 「信州須坂ふるさと応援寄附金」は、極めて好調であり受入額で県内市町村のなかで2位、過去最高の約23億円とのことであります。ご寄付を戴いた全国のこよなく須坂を愛されるご寄付者の皆様に感謝を申し上げると共に、「信州須坂ふるさと応援寄附金」に携わっている市職員、ふるさと応援寄附金に関わる関連企業の皆様には、ご苦労様と申し上げます。

 「ふるさと応援寄附」をされた皆さんは、当然返礼品として須坂産果樹を望まれての寄付であると拝察されます。寄付額約23億円の内、返礼品として農家の皆さんにどの位の金額が充てられた、このことによって、農家の皆さんの生産意欲の向上はより図られると期待されるからです。

問  須坂市における農産物の年間総販売額はどの位あるのか。
産業振興部長 須坂市の農業産出額(推定値)は、104億2千万円で、果樹は94億3千万円で全体の90.5%を占めております。

  令和3年度における「ふるさと応援寄附金」に係る「返礼品」として、農産物関係が占めた割合と金額換算ではどの位でしたか。
産業振興部長 2021年度の企業版を除く「ふるさと応援寄付金」の総額は23億7,141万円余で、返礼品として農産物が選ばれた割合(応援寄附金総額に占める割合)は(加工品を除く)約92.6%、金額にして21億9,797万円余です。このうち果物類が21億9,231万円余で、野菜類(ほとんどがアスパラ)が565万円余です。   
果物類の主な内訳は、ぶどうが84.3%で18億4,879万円余、りんごが4.8%で1億433万円余、桃が2.4%で5,192万円余、その他が8.6%で1億8,726万円余でした。






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テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

市民のために大切なものは何か!
令和4年9月定例会一般質問で私が取り上げた諸課題

1.須坂の宝である子どもたちの教育をどう護るか
(1)公立小中学校教員の勤務状況の過酷報道について

2.須坂の市民をどう護るか
(1)第7波(オミクロン)の特徴について
(2)県の「BA5対策強化宣言」発出について
(3)全数把握の見直しについて

3. 安定した市の財政運営を叶えるために
(1) 善光寺御開帳に関わる当市の総括
(2) お盆の当市の観光地等への人出の総括
(3) 須坂市の経済動向と今後の見込みについて

4. 第1次産業の殖産が須坂を潤す
(1) 農業が抱える課題と貢献度について


テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

青春時代 1  何があっても帰らない思い
青春時代の足(改定版)

ささやかな贅沢として、私は青春時代に乗車した国鉄の電車、地下鉄、都電のNゲージを蒐集していましたが、やっとこの度「初期型特急あさま号」を入手出来、二十歳代の「青春時代の足」をそろえることが叶いました。快挙であります。

昭和42年3月下旬、就学する機会を得て上京するため、長野駅の上野行プラットホーに立ちました。ホームにはたくさんの人たちがいましたが、さして気にもせず直近に発車する列車に乗り込みました。上田駅に着いて分かったのですが、何とこの列車は臨時の「集団就職列車」でした・・・

臨時「集団就職列車」は、電気機関車に牽引された客車で、長野駅から主だった駅に停車するたびに、上京する集団就職者の門出を祝うセレモニーが催されて、プラットホームはそのための群衆で埋め尽くされていました。客車の窓を開けて別れを惜しむ家族や友人の面影は、今でも思い出されます。発車のベルに合わせて「蛍の光」の音楽が流され、汽笛と共に列車は静かにホームを後にします。このセレモニーは小諸駅まで繰り返されました・・・

当然、長野駅でもセレモニーは行われたのですが、セレモニーが終わった後に私が長野駅に着いたので、少しも知らずに「集団就職列車」に乗車したようです。私は一人旅ですが、学生服で学生帽をかぶり、手荷物を持っている様は、上京し集団就職される彼らと全く同じいでたちであり、私はいつのまにか集団就職者の一員でとなりました・・・

「あゝ上野駅」を聴く度に、私はあの日の「集団就職列車」に揺られて上京したことを思い出します・・・
この歳になって、この歌をYouTubeで聴く度に、何故か涙がこぼれ落ちます。将に上野駅に降り立った経験者にとって、生涯に亘る心の歌であり、上野駅は人生を双六に例えるならば、我が青春編の旅立ちの「ふりだし」でした・・・

鈍行上野行客車


昭和40年代には、電気機関車に牽引された列車から、長野駅から上野駅間に「急行〇〇号」の長距離電車が登場しました。学生時代の郷里と上野間は専ら、「急行信州号」か「急行妙高号」或いは屋代駅から長野電鉄河東線で郷里まで直通の「急行志賀号」でした。

帰省の折は学割で浮いたお金で、横川駅で当時300円であった釜めしを買い求め、碓氷トンネルから軽井沢駅までの間に釜めしをほうばるのが楽しみでした。急行電車は窓を開けることが出来たので、碓氷峠を登り浅間山が見えると、私は窓を上げて信州の風を頬に受け、故郷信州の空気を力一杯吸い込んだものです・・・

急行信州号4


「特急あさま号(489系)」の出現は、急行に比べると凡そ30分、長野ー上野間の乗車時間が短縮され、故郷がぐんと近くなりました。急行と違い特急は「座席指定」となり、ホームに並ばなくても指定された座席に確実に座れるようになり、指定料金が付加されますが、とても便利と感じました。
ボンネット型(こだま型)でアイボリーのモダンな車体色が信州の山並みに映えました。座席も急行に比べると座り心地が雲泥の差でした。

特急あさま・初期型


その後、特急あさま号はボンネット型から、安全性を高めるためなのでしょうか、運転台がより前面に押し出された鼻ペチャの改良型が登場しました。車体色は山岳地帯を走るイメージからなのでしょうか、濃い緑と雪を連想させる白に変わりました。長野新幹線が開通し、横川~軽井沢間が廃線になるまで、この型の特急あさまが上野・長野間(白山は金沢まで)を走りました。

特急あさま


白山台の東洋大学に、銀座四丁目のかの和光の隣で、晴海通りと文化通りに面した、電光掲示板が目印の浜一ビルにありました法律事務所に通うために、足掛け9年余りを、雨の日も、風の日も、はたまた寒風吹き荒れる雪の日も、毎日乗車した営団地下鉄「丸ノ内線の赤に白のラインの電車」は、私の青春そのものを乗せて走りました・・・

marunouchi2


大学に通学するに、利用した都電を・・・

都電3


かって、都電2系統は東洋大学前(曙町)と三田の間を走っていたらしいが、昭和43年当時には既に廃線されていて、春日通りは地下鉄工事が進められていました。そのため、大学には国電の水道橋駅か巣鴨駅から都バスに乗らなければならなかった・・・
幸いにも大学から東に徒歩5分ぐらいの本郷通りに、都電19系統が走っていて、本駒込⇔本郷三丁目間を学割で、確か420円か480円/月で乗れた記憶があります。通学にはこの都電を利用しました。
 当時乗車した都電は写真のような鮮やかな黄色でなく、長年の風雪に耐え、然も経年劣化でくすんで黒みかかった黄色に変色してしまった車体でしたが、私にとっては頗る味のある日焼けした逞しい都電に見えました。

地下鉄丸ノ内線本郷三丁目駅は、都電の本郷三丁目停留所から歩いて2分ほどの、本郷通りから地下鉄利用者のための専用通路を入ったところにありました・・・
 私はホームで「中野富士見町行」が来るまで待って、この電車に乗車しました。これに乗れば万一眠りこけても、中野坂上での乗り換えも不要であり、荻窪まで行くようなこともなく、更に「中野富士見町行」は終点駅(車庫)であることもあり、車掌さんが起こしてくれます。余程のことが無い限り、2、3本待っても「中野富士見町行」の電車を利用しました。

気が滅入ると、これらのNゲージに見入っては、青春時代のあの闘志と英気をもらい受けていいます。Nゲージの魅力とは、我が心底に宿る青春時代へのノスタルジャをくすぐる以上に、何故か闘志を与えてくれます。



テーマ:つぶやき - ジャンル:ブログ

いつまでもいつまでも忘れない
新盆をむかえて

今日は盆の入りである・・・
新盆をむかえる故人を偲ぼうと記録を紐解くに・・・

弟のように深い誼の親交があった君
幼き頃より親交のあった君
議員としての親交のあった先輩とご家族
親友のご家族
無名時代にお訪ねしては親交を深めた故人
少年・青年時代にお世話になった数多の方々・・・
宅建業・行政書士としてお付き合いのあった方々・・・

偽りない思いでまつべて戴いたご恩に、いつまでもいつまでも決して忘れることなく感謝を申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます  合掌



テーマ:つぶやき - ジャンル:ブログ

あいつにこいつ 2
なんだぁ こいつは

「肝胆相照らす」と言う言葉があるが、これは素地に、人生において時間的共有期間が必要であることが欠かせない。
例えば、幼馴染であること。同級生であったこと。同じ職場で苦楽を共にしたこと。志を同じくし共に切磋琢磨したこと等であるが、一言で表現すれば、邂逅における時間経過に伴う醸し出す「馬が合う」に尽きるのではないか。

人生のターニングポイントは、須らく邂逅であると私の経験上常々述べて来ているが・・・
恩師に巡り合い、大学を出して戴き、この道で生きるに最も大切な矜持と倫理規範の心意気を仕込んで戴いたことが、我が人生にとって極めて幸運であったと言える。師匠を道標に人生を過ごしてこれたことが、曲がりなりにも今があると言い切れる。感謝しかない。

ところで・・・
私は、恩師にして戴いた恩は、自分が眼をかけた人にそれを返そうと思いたち、人生を一貫して実践してきた自負心があるが、この人選の眼を心意気を悉く打ち砕かれる一コマがあった・・・

思えはこいつは、いきなりの抜擢で、幼馴染でもなく、同級生でもなく。同じ職場で苦楽を共にした歳月もなく。志を同じくし共に切磋琢磨した間柄でもなかった・・・
私は人選の鉄則を失念しての報いといえる。信長の本能寺の口惜しさが分かる・・・

「なんだこいつの料簡は?」、私のこいつに寄せる信頼は一瞬にして解氷し、断交を下した・・・