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佐藤 壽三郎

Author:佐藤 壽三郎
1947年8月生まれ

趣 味 囲碁・歴史考察・墨書

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千曲のかなた: 須坂市議会議員 佐藤壽三郎
「千曲のかなた」の由来は、郷土が全国に誇れる大河 「千曲川」と、千曲川のかなたに連なる信濃五岳、北アルプスや四方の山並を超えて遠望する私のねがいです。  「千曲のかなた」を通じて私は故郷から巣立った青年たちに熱いエールと郷里の情報をおくり続けます。「ふるさとは永久に緑なりき」と・・・
あなたは何を為すべきか
今この時こそ 須坂の浮沈がかかっています

須坂長野東インター北側に、大型商業施設・物流関連施設・ものづくり産業施設計画が掲げられ、この計画の実現を須坂市はもとより、多くの市民の皆様が強く望んでおられます。私はこの計画に向けて、遮二無二に足掛け3年間を議会のインター周辺等開発特別委員会の委員長として奮闘して参りました。
2022年までに計画の則った各施設が出現されます。将にこの時期が勝負時かと思っております。

この計画の事業に則り企業によって稼働されると、開発区域に2 千人以上の雇用の場が創出されます。須坂を中心に広く善光寺平一円に住まう若者が、都会に職場を求めて郷里を離れることが無くなる一助にきっとなると信じます。

地方都市並びに企業が抱える人口減少問題等の課題は、地方における雇用の場の有り無しが要と考えます。いち須坂の力みだけでは何の解決にもなりません。運命共同体とも言える北信地域の市町村のみならず、地域の企業(民間)の共通の課題と捉ねばなりません。自治体の縄張り意識を捨て、企業と共に支える都市形成がより醸成されれば、これこそ人口減少問題等の課題解決策の糸口につながると私は思います。

市長選の投票棄権は「お任せ民主主義」であって、自らの意思を放棄したと言えます。子孫のために、今この時は市民が一丸となって、この計画の御神輿を担ごうではありませんか。




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平野美宇よ五輪で輝け
おめでとう平野美宇選手

2019年12月7日付ブログで、私は「平野美宇、 己に勝って五輪に駒を進めよ」と激励しました。
本日、「東京2020五輪」卓球競技の日本代表候補選手に平野美宇(団体戦/初出場)が内定との発表がありました。
彼女が、艱難辛苦の末に勝ち取った選手代表権であることを、ファンとして嬉しく思います。選出されることを信じて応援していたこともあって、実にうれしい。

日本を代表する選手に選ばれた以上、益々の精進を重ねられ、「平野美宇ここにあり。」と世界に吠えて欲しい一語です。
おめでとう努力すればその努力は、必ず報われることを、青少年に与えた勇気は大きい。



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幸福とは何ぞやと見つめ直すとき
年の初めに誓うこと

令和2年の事始めとして、今年も先ず自分の健康に留意し、議員として、特定行政書士として、宅地建物取引士としての必要な法知識習得に勤しむこと。現場主義を徹底して、陳情や請願については現状の把握を惜しまないこと。有権者の行政に対する不満を聴取し、行政に適宜な取次を行うことを年頭にあたって己に誓った。

須坂市は、不幸なことに大晦日、元旦、正月二日と火災やボヤが発生した。この時季、寒冷地であることから暖房器具を使用しないと寒さに耐えきれない事情もあるが、火災は全てのものを焼き尽くして、剰え命まで奪ってしまう・・・
不慮の火災で尊い命を奪われてしまった、親しい故人のご冥福を祈りたい。

人類は、火を征服したおかげで、万物の頂点を極めているが、歴史的事実とは裏腹に現代においても不用意な火災の悲劇が後を絶たない。戦国時代の武将も妻に「火の用心、おせん泣かすな馬肥やせ。」と書状を送っているいるが、火災は将に各々の「火の用心」に尽きるものである。 地震、雷、火事と今も昔もその怖さは変わらない・・・

幸福とは何ぞやと見つめ直す人でありたいものだ・・・



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史記に学ぶ凡夫
つまり鼠の如きもの

史記にある「人間の賢と愚も、つまり鼠の如きもの。その居る場所で決定されるのだ。」の件(くだり)は、成程と思い当たることが、この齢を重ねるに感じとることが出来る・・・

人は交誼する人によって、その人の人柄が変わる。人格は関りある交遊によって育まれるものである。
某人と20年振りぐらいに会う機会を得た。はて・・・福顔であった彼の形相は、歳月を経て見るからに貧相になっていた。一言二言言葉を交わすに、言葉の端から「妬み、嫉み、やっかみ」の塊みたいな心根に陥っていたので、私は言葉を失った。妬み、嫉み、やっかみを抱く人は、心の裡が顔に顕れて形相迄変わるものなのであろうかと驚いた・・・

この御仁は、はてはてこの20年間を、復讐・遺恨の呪文を唱えるために、爪を研ぎ、こころを歪(いびつ)に屈折して世間を見てきたたのだろうかと。一日を否20年もの間、唯々こころを卑屈にして過ごし方をしていたのかと思うとき、寧ろ憐れみと畏怖を感じた。

人はその心持によって成長する動物であるが、まさか形相までも斯くも変わるものかと、つくづく史記の一節「人間の賢と愚も、つまり鼠の如きもの。その居る場所で決定されるのだ。」を思い出した。


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我人生に悔い無し
無駄な足掻きとは思っていない

先日、信濃毎日新聞12月2日付社説に、以下のような記事が掲載されていた。
「経済的に恵まれない世帯の子の学習時間が、所得の高い世帯の子を上回っても、学力で及ばないとの調査結果がある。社会からの孤立、不安定な親の就労、食料や生活必需品の欠如といった幼少期からの体験が、能力の向上に影響しているという。」

この記事を、何遍も、何遍も読み返していたら不覚にも涙がこぼれおちた・・・
少年時代に父を亡くし、母の手で育てられた私は、チャンスを得て上京して恩師にめぐり会うまでは、随分と回り道をしたと言える。言うに言えない悔しい思いも、切ない思いもした。人の情けに助られたこともあった・・・

根性だけは誰にも負けまいぞと力んでみても、どうしても越えられない壁があった。その壁が何なのか分からず、闇雲にその壁をよじ登ろうと必死であった。今思えば書物の精読に時間をかけても、どうしても追いつけない、学力(知力)が、その僅かな差がどうしても追いつけないジレンマがあった・・・

然し、青春時代に必死に志しを叶えるために、日々を過ごしたことは、決して無駄とは思っていない。知識を咀嚼して反芻しての繰り返しが、今になって漸く活きているからである。

一方、人は須らく邂逅と言える。青春時代にめぐり会えその後の人生に影響を与えて下さった人々がいるではないか。この邂逅によって築き上げることが出来た「人的財産」が私の宝でもある。学力は己自身の力量であるが、邂逅は「お互いの信義」が全てである。「信義」はお互いのこころの触れ合いであるので、学力とは同一視はできないものだが、然しともに相成って必要なものであり、人生における双刃の剣と思えてならない。人格形成に沿えるものと思える。



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